観葉植物になる日まで

 独特のファッションセンスを持つ新聞記者の根城にしてはそつのない内装でまとめられた事務所は、キャピトルシティの夜景を見下ろす好立地に位置している。窓際にぽつんと設えられた木製の椅子に腰を降ろし、シウグナスはきらめく夜景に目をやったまま微動だにしない。自称吸血鬼である彼は真昼の街も平気な顔で闊歩するが、色素の薄い肌や血の色をそのまま通したような色の瞳には、やはり夜の闇の方が似つかわしいように思う。個人の感想ではあるけれど。
 部屋の主の趣味か、シンプルな室内には落ち着いた佇まいの観葉植物がいくつか配置されている。その土の具合を確かめて、水やりをするのが今夜のタスクだった。ミヤコ市から持ってきた心もとない財布の中身は当然のことながら他国であるここでは通用せず、文無しの宿無しを何の見返りも要求せず置いてくれるリタへ、せめて何かできることはないかと尋ねた返事が「うーん、そう言われてもねえ。私としては取材に付き合ってくれてるだけで十分なんだけど。あ、じゃあ後で植木鉢に水をあげておいてくれる?」だったのだ。かえって気を使わせてしまったようで申し訳ない。
 指先で土に触れてみて完全に乾いていたら、鉢の水受けにたまるまでたっぷり水をやる。教えられた通りにやっても大した手間でない作業を、せめて丁寧に一鉢ずつこなしていると、ふと頭上に影が差した。顔を上げれば、足音ひとつ立てずにやってきたらしいシウグナスが興味深げにこちらの手元を覗き込んでいる。
「何をしている」
「何って、見ればわかりますやろ。水やり」
 呆れを声に滲ませてしまってから、しまったと口をつぐむ。彼の故郷であるヨミという国は、自分の知っている世界とは随分常識が違うらしい。何しろ通貨の概念がないというのだから、いちいち驚いていてはきりがないし、今のは知らないことに非がない人へ取る態度ではなかった。
「えらいすみません、ええと」
 説明しようとして言葉に詰まった。この人にとって、どこまで既知の領域でどこからが未知なのだろう。今の今まで観葉植物に興味を持たなかったということは、植物の定義からは必要ないかもしれない。
「鉢植えは、ときどきこうやって水をやらんと枯れます」
 端的な回答は伝わっただろうか。シウグナスの表情は変わらない。首が軽い痛みを訴えてきて膝をついたままの姿勢だったのを思い出し、立ち上がる。それだけの間が空いても彼の相槌はなかった。なんだか心拍数が上がってきた。どこが足りなかったのだろう。どこをどう補足したら、彼の疑問に適切に答えられるのか。
「……地面に植わったままやったら、雨やらお日さんの光やらでなんとかやってくんでしょうけど、鉢に植えてしまうと人の手が必要になるんです」
 自覚できる程度には支離滅裂になってきた説明を受けて、彼は初めて、ふむ、と短く頷いた。高まった緊張がわずかにほどける。
「眷属と同じようなものか」
 シウグナスが気に入った人間を見つける度に所構わず繰り広げている怪しげな儀式が脳裏に蘇った。儀式を施された人の赤い闇に染まった目の光も。
「あの人たちも、水やりが必要になるんですか」
 今度は自分が聞く番だった。
「水とは限らない。常に眷属に眼差しを注ぎ、必要なものを必要なときに与える」
 打てば響く答えには一切の迷いがない。彼は己の未知と既知との間に明確なラインを持っているようだ。それはつまり「知っている」こととどれほど違うのだろう。
「へえ、王様やるのも大変なんやな」
「あの者たちは私に全てを捧げるのだから、当然のことだ」
 眷属と呼ばれるようになった人たちの、主に何もかも委ねた虚ろな表情は、どこか穏やかで安堵に満ちていた。
「シウグナスさんはいい王様なんやろうね」
 うらやましいとは少し異なる種類の感情が胸をよぎった。情深い王が手ずから植えた鉢で厚い庇護のもと生きていく彼の観葉植物たちの存在は、つい先日家族の枠から放り出されたばかりの自分の傷に染みる。
 真新しい傷口に気を取られ、シウグナスの存在を一瞬失念した。一際精巧な、作り物めいた指先に顎を捉えられて我に返る。
「君はいつ私のものになるのだ」
「いや、まずなるかならないかから選ばせてくださいよ」
「その気になるまで待つのだから、選択肢は不要だ」
 不穏な吐息を感じる距離までぐっと詰め寄られて慌てた。彼の瞳の赤が、視界いっぱいに広がる幻覚に捕われる。幾度となく見せられた例の不思議な力だ。質量を持った赤がどろりと顎を伝い首筋を舐め、衣服の袷から中に入り込む。快不快すら分からない何かが臓腑から迫り上がった。
「っ……聞いてきてる時点で待ててないやろ! 顔が近いわ!」
 腹から声を出すことでぎりぎり踏みとどまった。精一杯の苦情へ、闇の王は睫毛の先まで優雅なまばたきを返し、許可もなしに人の腰を抱き寄せていた不埒な腕を解いた。それもそうだな、との簡素な返事に心の底から脱力する。その素直さをずっと忘れないでいてほしい。そろそろ夕飯の買い出しに出た眷属たちが戻ってくる頃合いだ。玄関開けて五秒でいかがわしい儀式に出くわしたとしても別に彼らは何とも思わないだろうが、こっちの矜恃の問題だ。
 しゃがみこんで水やりの続きに戻る。勝手に会話を打ち切った癖にシウグナスの沈黙が耳に痛い。
「……したいんやったらさっきの妙な力でさっさと眷属にしたら良かったんじゃないですか」
 あと一押し粘られていたら、きっと自分は陥落していた。
「あれは心の奥底に沈めた記憶、己が見ないふりをしている真の願望を呼び覚ますものだ。ない炎は焚き付けられぬ」
 あっけない種明かしに目を丸くする。墓穴を掘ったような気がする。
「オレにかけても無駄ってことか。せやったら何で」
「心の内を探ることくらいはできる」
「永遠の時を生きるいう吸血鬼が、せっかちなことやな」
 余計な嫌味を漏らしたところで、シウグナスの表情筋は動かない。こちらを見据える、いっそひたむきなまでに真っ直ぐな視線にも温度はない。
 
 オレには闇の王が信ずるほどの価値はない。
 今となってはミヤコ市を守護する者として精霊を求め連接世界をさすらう使命に縋っているだけの身の上だ。眷属になったところで縋る先が変わるだけ。シウグナスにとっての魅力的な闇にはなり得ない。だが、彼の誘惑にはひどく心を揺さぶられた。全てをなげうって彼を頼ってしまえばどんなに楽になれるだろうという反吐の出るような本音を、注意深く胸にしまい込む。今はもう存在しない御堂家で散々仕込まれた心を守る術が、意外なところで役に立つものだ。
 最後の鉢の世話を終えて振り返ると、元のように椅子に腰掛け足を組み、街の灯りを見下ろすシウグナスの姿が目に入った。
 先程までのやり取りが、全て白昼夢だったかのような光景だった。強い目眩に襲われてこめかみを押さえる。ついさっき触れてきたはずの彼の指先の温度がどうしても思い出せない。

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