一年越しの夜明け

 エテーネに到着したのは空の端が薄く茜に色づく頃合いだった。年の瀬の準備に追われる村は前回足を踏み入れた時分よりも賑やかで、せわしないながらも新年を迎える喜びに満ちている。
「ユシュカさん!」
 初めにこちらに気付いたのは、村の次席責任者であるシンイ。櫓の手入れを中断し、入口まで出迎えに来る。
「久しぶりだな」
「本当に。一年はあっという間ですね」
「変化が大きければなおさらだ」
 転換期を迎えたアストルティアと魔界の関係をほのめかせば、確かに、と応じたシンイが微笑む。この村の景色は以前と何ら変わりないように見えるが、世界は確実に変わり始めている。
「村長ですか?」
 背後の集落に送った俺の視線を追って、シンイが振り返る。
「先ほど一旦自宅に戻ったはずです。……ラジという少年はご存知でしたっけ」
「いや」
 急に出てきた新しい名前に首を振った。
「慰霊碑に手向ける花を摘みにいくと言って昼過ぎに出かけていったのですが、少し帰りが遅いのが気になるそうで」
「迎えにいくと言い出したか。相変わらずおせっかいなのか心配性なのか」
「あの人の性分なので、そこはもう仕方ないですね」
 幼馴染にだけ許された気安さで肩を竦めたシンイへ、村人から声がかかる。
「シンイ様! カメ様へのお供えの準備が整いましたが」
「ありがとうございます今行きます!」
 踵を返しかけたシンイがもう一度振り返り、すみません、では後のことお願いしますと言い置いて小走りに持ち場へ戻っていく。
 ひょっとしてラジの件、体よく押し付けられたか?
 
 既知となっていた村人たちと軽く手を上げて挨拶を交わしつつ、村長の家に向かう。家の戸を叩こうとした瞬間に向こうから、きい、と音を立てて扉が開いた。
「ユシュカ?」
 久しぶりに見る家主の顔は、やはりこの村と同様に記憶にあるものと変わらない。
「立て込んでいるところ悪いな」
「いえ、呼んだのはこちらです。遠かったでしょう?」
 今は村長の顔をしている大魔王がちょっと眉を下げた。一年越しの約束だった。忘れられていても仕方ないと思っていたので、ただそれだけで胸の奥に火が灯る。先触れをしておこうかとも考えたが、俺ばかり楽しみにしているのも癪なので結局何の知らせもしないまま当日を迎えてしまっていた。
「いや有意義な時間だった。アストルティアをゆっくり移動する機会などなかったからな。書だけで得られる知識と実際その地に足を運んで得る知識は、やはり質も量も全く違う」
「それならいいのですが。……すみません、少し出ないといけなくて。中で待っててもらえます?」
 薄手の外套のボタンを留めながら、顎で室内を指す大魔王に首を振る。
「ラジのことだろう? 俺も行く」
「聞いてたんですか」
「村のみながあくせく働いているのに、ひとりのんびりというのも落ち着かない」
「損な性分ですね、じゃ、なくて。ありがとうございます」
 いつもの軽口を叩こうとして、親切心から来る申し出にこの態度はなかったと思い直したのが全て顔と台詞に出ていて吹き出した。
 
 年中温暖な気候だという草原には、決して派手ではないが折々の花をつけた植物があちらこちらに群生していた。
「……いませんね」
 ここまで来なくとも供える程度の花には苦労しないはずなのに、と村の方角を振り返る。大魔王の言う通り、立ち寄った群生地のうち半分でも回っていれば、子どもの両手いっぱいの花束になっただろう。
「擦れ違ったのかもしれんな。俺だけでも一度村に戻るか?」
 帰り道でばったり会う可能性もある。提案を受けて、大魔王が考え込んだ。
「ひょっとしたらと思っていたんですが、新年を迎える日なので、いつもとは違う花を探しにいったのかもしれない」
「心当たりはあるのか」
「テンスの花です。慰霊碑を建てた時に供えたのを覚えていたなら、この先の洞くつへ向かったはず」
 そこにしか咲かない花なんです、と大魔王は補足した。視線の先にあるのは、小さな泉の奥、緑に埋もれた洞窟の入口。その緑も徐々に夕闇に沈みつつある。
「急いだほうがいいな」
 地平線に姿を消しつつある太陽を一瞥し、目的地に向かう。
 
 洞窟内には、ひんやりとした湿気を帯びた空気が満ちていた。等間隔に灯る明かりがあるおかげですっかり日が暮れても暗闇で往生することはなさそうだが、正直あまり長居したい場所ではない。幸い大した魔物は生息していないようで、こちらの足音に勘付いた瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げていく気配だけがあちこちに散らばっている。魔物が息を潜める一角を見据えて大魔王がひとつ溜息を吐いた。
「初めてここに足を踏み入れたときは、命がけだったんですけどね」
 あの頃今の力があれば、と足は止めずに吐き出された後悔を聞く。
「未来を変えられた、か?」
 口にしなかった仮定を真っ向から問えば、大魔王は目を伏せた。
「……もしもを考えるくらい許してくれたらいいのに」
「その『もしも』と今までお前が救ってきたものを天秤にかけるとなるとな」
 大魔王が救ってきた数々の世界は、すべてエテーネの犠牲の上にある。こいつの身内である稀代の錬金術師の力を持ってしてもその運命を変えることはできなかった。変えられない過去を反芻しても己を追い詰めるだけだ、とまでは口にはしなかった。
 洞窟の最奥の扉を開け放つと、大魔王は小さく「ラジ?」と呼びかける。一呼吸おいて奥から、返事をするように固いもの同士がぶつかる音がした。形だけ得物を構え、警戒を見せたが相変わらず魔物の気配は薄い上に遠い。
 ふと、左手壁側に並んだ壺の影が揺らいだ。壺の後ろから顔を出したのはモンスターではなく、幼い少年。大魔王の口から安堵の息と共に再度迷い子の名がこぼれ落ちるのを聞いて、こちらも胸を撫で下ろした。
 
 子どもの無事を一通り確かめてから話を聞けば、やはり大魔王の推理通りだった。
「洞窟に咲いてるって聞いたんだけど、全然見つからなくてさ。やっとここで見つけて」
 そう言って、ラジは一輪の花を差し出す。これが件の花か。透き通る青の花弁が細くしなやかに開いている。
「帰ろうとしたら魔物が集まってきてて、隠れてたんだ。……ごめんなさい」
 子どもの目線に合わせしゃがんでいた大魔王は目を細めてラジの頭を撫でた。無事でいてくれて良かった、帰りましょうと穏やかに告げて立ち上がる。ただ、ラジが握るテンスの花に視線を落とした刹那、その瞳には確かな憂いがよぎった。こいつにとってエテーネの記憶は全く過去ではなく、この洞窟は過去ではない過去を掘り起こしてしまう場所なのかもしれなかった。
 
 村の門をくぐる頃には日はとっぷりと暮れていた。日暮れ前ののどかさとは打って変わって、正月飾りのランタンが彩る幻想的な景色に目を奪われる。
 シンイの配慮で、ラジは村長と俺との三人で花を摘みにいっていたという話になっていた。その代わり本人は村の入口でシンイ自身からたっぷりお説教されていたが。
 作業を終えた村人が、代わる代わる慰霊碑に今年最後の黙祷を捧げている。その列に混ざる前、シンイから「新しい年を迎える宴を開くので、ユシュカさんも是非」と誘われたので快諾した。テンスの花と帰る道すがら摘んだ分で作った花束を、ラジが慰霊碑に手向け、手を合わせる。うっかり共に黙祷する流れになっているが、魔族である俺はここに眠る者たちに何を祈ればいいのだろう。突っ立っていたら大魔王が裾を引っ張ってきて「こういうのは気持ちですから」と耳打ちしてくるので形だけ手を合わせる。エテーネ襲撃に個人としての責任はなくとも、仮にも一国を率いる魔王としてはどうかというところまで考えると、素直に彼らの魂の安寧を願うのは虫が良すぎる気もする。
 黙祷を終えたラジが宴席の手伝いに呼ばれ駆けていき、慰霊碑前の人通りが一旦落ち着いても長々と祈りを捧げている大魔王の肩に手を置いた。ぎくりと肩を揺らした大魔王がこちらを見上げる。
「心を寄せるのはいいが、引きずられるな」
 頬を打たれたような顔を見せた大魔王は、うつむき小さく頭を振った。逢魔が時を過ぎたとはいえ、不安定な心に魔は容易につけこんでくる。不穏な気配を断ち切ってやっただけなのだが、つけた傷はきっと浅くはなかった。
 
「ユシュカ」
 囁く声に覚醒を促される。目を開けても辺りに広がるのはまだ未明の闇。ベッドから起き上がって眉間を揉んだ。
「飲みすぎたな」
 宴会は新年を祝う時間まで続いた。適当なタイミングで切り上げられたら良かったのだが、魔界からの客を珍しがる村人に囲まれてついつい長居してしまった。
「動けそうです?」
「問題ない」
 着の身着のままベッドに倒れ込んだから、顔を洗って口を軽く濯げば出かける準備は完了だ。心配そうな大魔王の先に立って玄関の戸を開け放つ。日が昇る前なのに、外気は砂漠の夜に比べたらまるで春の陽気だ。村人も今時分に動き出すらしく、三々五々連れ立っては門を出る後ろ姿が見える。
「さて、どこに連れていってくれる?」
 
 で、登山をさせられている。登山どころかちょくちょく足がかりに悩む崖まで登場する。新年早々、何故俺は足腰の強靭さを試されているのか。大魔王が終始我が庭顔をしながら崖の上から手を差し伸べてくるので、遠慮なく引き上げてもらう。この馬鹿力はどこから出てくるのか毎回謎に思う。そうこうしているうちに、東の空が白み始めた。忍び寄る朝に追われながら、草を踏み土を踏み、露に袖を濡らし、岩を掴んだ。
 とうとう頂上に辿り着いて仰ぎ見れば、白く染まる空の中心に、暖かな橙がいよいよ姿を現すところだった。寿命を終えて横たわる大木に背を預け、二人地面に腰を下ろす。弾んだ息を整える。当然の話だが、時々道がなくなる登山道を夜目が効かない中、頂上まで登ってくる変わり者は他に誰もいない。
「何もここまで登ってこなくても、日の出は見られたんじゃないか?」
「……どうせなら、一番の景色を見てもらいたいじゃないですか」
 いかにも大事なことを打ち明けるように呟いておいて、大魔王は既に暁光に気を取られている。薄い身体を縁取る輪郭が、乾燥した頬が圧倒的な白に覆われ蜜色に濡れ溶けていくように見えて、慌ててその肩を抱く。草原を食み、遥かなる地平線を越えて、日が昇る。目を眇めて一部始終を眺めていると、腕の中の身体がごそごそし始めた。視線を落とせば大魔王が手を伸ばして人の髪の毛を弄っている。
「……何を遊んでいるんだお前は」
「日の出も、ユシュカの髪もとても美しい赤だから、きっと似てると思ったんですけど、全然違ったなって」
 空いている方の指先で眉間を押さえる。二日酔いがぶり返した気がする。ぶり返した気はするが、色が似てるか確認したいなどというふざけた理由で呼ばれたとしても、きっとここまでのこのこ足を運んでしまうのは変わらない。惚れた弱みというやつだ。摘んだ毛先を朝日に透かしてじっと検分している大魔王の頬に手を添えてこちらを向かせる。頬と同じく乾燥した唇を確かめて、舐めてやる。もう一度、今度は深く口付けた。薄く開いた唇に舌を忍ばせ歯列の根をゆっくりとなぞっただけで、びく、と肩を緊張させて身を引こうとするのを、頬から後頭部に移動させた右手のひらで阻止した。着ているものをすべて脱がす頃にはいつも開き直った態度になる癖に、最初だけはいまだに生娘のような怯えを見せるのを揶揄ったことがある。むっとした顔になったこいつが至極真面目に「そういう雰囲気に切り替わる瞬間の、あの独特な空気が苦手なんですよね。水に入るときに、潜ってしまえば平気なのに最初は顔や髪が濡れるのちょっと嫌じゃないですか」といういささか共感しづらい例えを持ち出してきてまで説明してきたのは、本人には悪いが大分面白かった。戸惑う舌を自分のそれで絡め取りくすぐり、繰り返し「そういう雰囲気」を刷り込んでいく。力が抜けきったところで開放してやったら濡れた唇から、短く悩ましい吐息が漏れて目を細める。
「気持ちいいか」
「……それ聞きます?」
 じっとり睨み返してくる目尻が艶やかな朱に染まっている。注視していたら嫌だったのか、こちらの首に腕を絡めて襟元に額をうずめてきた。命の重みと温もりが心地良い。
「ここは砂漠の夜ほど冷えないから、構わないだろう?」
 形だけの許可を取りながら、そっとその身体を柔らかな草むらに横たえれば、少々の思案の後「そうですね」と合意の返答があった。昨年砂漠で寒いからと断られた事案を密かに根に持っていたのだが、まさか口実でなくて本心だったとは。勘ぐっていた己が滑稽で喉の奥で苦笑した。
 
 内壁を探る指が火でもついたように熱い。四方から押し寄せ絡みついてくる熱を押し返し奥を開けば、肩にしがみついてくる指に力がこもる。
「く、あぁ、あ」
 欲を孕む声が、強ばる身体が親切にも教えてくれる通りに指を動かし、内からゆっくりと溶かしていく。喉を逸らして軽い痙攣を繰り返している上半身を、空いている方の手で宥めた。ついでに目についた胸の先端を舌で転がしてみる。気の向くままに触れているので、宥めているのか責めているのかわからなくなってきたが、されている方は終始気持ちよさそうなので問題ないだろう。仕上げとばかりに小さな乳首を吸い上げ、中に忍ばせた二本の指でこいつの好きな場所をしたたかに抉ると、ひ、と息を詰めた大魔王が背を反らせて、果てた。
 絶頂の余韻にびくびくと震える肩へ、涙を溜めた目尻へ唇を落とす。普段ならば、このタイミングで有無を言わさず突っ込んで更なる快楽で泣かす方が好きだが、今日は何となく気が向かなかった。と、荒い息をついていた大魔王が草むらについていたこちらの手に自らの指を絡め、息だけの音で名を呼んだ。顔を上げて目線を合わせると、その唇が、はやく、と次を急かしてきた。ぞくりと腰の辺りに蟠る熱が疼く。
 ああ、きっと俺はこれを待っていた。欲しがっているのは己だけではないと。自分の未熟な部分を突きつけられたようで情けない。幾分混乱したまま大魔王の足を抱え、要望通り、狭いそこに押し入った。待ちかねた内側に迎えられ、押し寄せる熱に揉みくちゃにされながら奥を目指す。目眩がするほどの強烈な快楽で腰から下が全て溶けてしまった気さえする。もう後は意地だけだった。手加減などできる筈もない。
「ひ、うあ、ああああっ」
 最奥に到達した途端にまず大魔王の方が爆ぜ、その衝撃で激しく痙攣した内壁に引きずられて俺もその腹の中に欲望を散らしてしまった。余韻と言うにはあまりにも強烈な悦楽の残滓になかなか呼吸すら整わない。ひとまず俺と同様に息も絶え絶えになっている身体を抱いて波が過ぎるのを待った。
「……大事故でしたね……」
 思ったより平気な様子の大魔王が口火を切った。喋るのに使われた腹筋の余波で、まだこいつの腹に収まっている己が捏ねられてちょっと息を止める。
「もう一度だ」
 返答はせずに、目の前の薄い耳朶を噛んだ。痛いとクレームをつけてくるのも無視する。
 
 
「来年は、ファラザードにします?」
 大人しく腕の中に収まってぼんやりしていた大魔王が、あくびをひとつしてから人の顔を見上げてきた。
「そうだな、だが」
「だが?」
「それはそれとして、お前はもう少し顔を見せろ。​──まさか丸一年放っておかれるとは思わなかったぞ」
 一年ぶりの逢瀬は確かに盛り上がったが、そういうのは別に求めていない。
「放っておいたのはお互い様じゃないです?」
 意外な膨れっ面を見せた大魔王が、更に意外なことを言い出す。あなたが忙しいと思ってずっと我慢してたのに、と詰り、ぷいと横を向く。子供じみた仕草に、それは俺の台詞だと言い返すのはやめておいた。結局似た者同士の宿命から逃れられないのだ、俺たちは。
「悪かった。俺はもっとお前との時間を過ごしたい」
 こっちを向いてくれないかと真摯に請うと、視線だけをちらと寄越して俺の胸に額を預ける。その頭をそっと撫でた。貴重な一年を意地を張って無駄にした。
「エテーネはいい所だな」
「また来てくれていいんですよ」
 顔は上げないままくぐもった返事だけが寄越された。苦笑が漏れる。
「ああそうだな。近々またお邪魔させてもらおう」
 見上げた空は、既に抜けるように青い。一羽の鷹が、遠く上空を旋回している。
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