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参列した人数の割には寒々とした空気の葬儀だった。ここにいる者の多くは、本日の見送られる夫婦の人生を、その辿った道筋を知らない。今確認できるのは結果だけだった。
関係性の説明さえ苦労するほど薄い縁ではあるが、わざわざ足を運んだのには理由があった。親族席の最前列で背筋を伸ばし、真っ直ぐに遺影を見ている少年。サイズの大きい生成のシャツと裾の擦り切れたジーパンは、場に相応しい装いの面倒を見てやる人間がひとりもいないことを示している。祭壇を見上げるあどけない横顔には何の表情も浮かんでいない。夫婦の一粒種である彼の血縁であろう周りの大人たちは、誰も彼もその存在をないものとして扱っている。
式典は滞りなく済んだ。地元の有力者である夫側の両親が妻側親族を押し切り、金だけはかけたそうだ。口さがない参列者のおしゃべりで下らない情報だけは耳に入ってくる。やれ一族の恥さらし、だから忠告してやったんだ、若気の至りもここまでくるとねえ。遺骨は双方の親族がそれぞれ引き取るらしい。骨よりも、生きている子供の行く末が知りたかったが、さざなみのような噂話から欲しい情報は得られない。
元々双方の親に反対された結婚だった。生活苦を原因にした心中。三文ドラマでもそうそう見ない筋書きだ。彼らの選択に興味はない。そもそも参列するほどの縁でもない。一報を入れてきた夫の方の父親がねばつく口調で「是非とも二人の葬儀に出席いただいて、寄る辺ない可哀想な孫の後継についていただければ」と擦り寄ってきた電話を切った後、忘れようと思って失敗しただけだ。一族の長として長年君臨してきた祖母はもう亡い。一介の学生にすぎない自分に残されたのは金と土地だけで、人間の形をした魑魅魍魎を率いていく気概などかけらもない。子供の祖父にあたる人間は、引き取りたいのは山々だが、愛しい息子と地獄に落ちるべき憎い嫁の両方の面影を残す孫の存在が辛すぎるとか何とか言い訳していたが、感情は抜きにして責任を取るべきは誰だと言いたかった。
まさかとは思っていたが、斎場の出口で双方の親族はそれぞれ遺骨を抱えたまま、子供の押し付けあいを始めたので唖然とした。醜い言い争いに割って入って、立ち尽くしている子供の肩に手をかける。振り向いた頬は乾燥していて蝋人形のように白い。
「衣食住の保証しかできないが」
突然の乱入者に静まり返った空間に自分の声が思いの外大きく響いてやや怯んだ。
「それでいいなら、来るか」
口にした途端、やってしまったと貧乏クジを引いたと周囲の視線が急にまとめて襲ってきて後悔した。望まれない可能性も考えずに勝手なことを。
ゆっくりと顔を上げた子供と目線が合う。丸い瞳の縁が淡い緑に光ったように見えて目を凝らした。見間違いか。
「行く」
初めて聞く彼の声に意識を引き戻される。小さく掠れたそれに込められた強い意志に一瞬気圧される。
俺のような他人が手を伸ばさなくても、ひょっとしたら彼は大丈夫なのかもしれなかった。それでも、いやだからこそ、先に手を伸ばした者の勝ちには違いなかった。
特急から電車の乗り換えをいくつか挟む長い帰り道、彼は一言も喋らなかった。行く先くらいは説明しようかと何度か口を開きかけたが、ここではないどこかを見ている子供に声をかけるきっかけが掴めず、俺の方も喋れずじまいだった。先が思いやられる。自己嫌悪に沈む。彼の祖父とは大枠の話はつけてきたが、諸々の面倒そうな手続きは全てこれからだ。今の自分たちの立場は立派な人さらいと哀れな被害者である子供だった。
天使の輪の浮かぶさらりとした色素の薄い髪を見下ろす。特に緊張してるようにも親の死を悲しんでいるようにも見えない。それと俺の存在も割とないことにされているような気がする。子供と触れ合う経験自体が自分の子供時代以来だったから、今の子はこんなものなのかもしれないと内心思い直した。
リビングの照明を付けると、子供が一瞬たじろいだ。何か変なものがあっただろうかと辺りを見回す。
「⋯⋯本が、多いね」
「ああ、」
大分気を使った言い方をされた気がするが、確かに気軽に人を上げていい部屋じゃなかったかもしれない。リビングテーブルからダイニングテーブルまで積み上がった本の山とレポート用紙と散らばる筆記用具、埋もれたノートパソコン、プリンター。
「すまない、課題が立て込んでいたんだ。今日はもう遅いから明日片付けよう」
「⋯⋯あの、ええと」
急にもじもじし始めた子供が、何を言いたいのか、はたと思い当たった。
「シュー、だ」
これから一緒に暮らすのに、俺たちはまだ自己紹介すら済ませていない。
「しゅーさん?」
「さんはいらない」
互いの距離感を測るようなおっかなびっくりの空気感に耐えられなかった。性分じゃない。
「でも」
「付けるなら返事はしない」
「え」
子供の顔に浮かんだのは困惑からの明らかにむっとした表情。思ったより感情豊かな方かもしれない。
「⋯⋯おとなげない」
「そうか」
素直な感想を受け流すと、子供は素直にむっとしたまま口を開いた。
「シュー、あの、僕は」
「うん」
「エックス、です」
知ってる、とは言わなかった。代わりに右手を差し出す。
「よろしく、エックス」
おずおずと握り返してきた手のひらは薄く小さく温かくて、とんでもないものを引き受けてしまった実感がやっと湧いてきた。この出会いはもしかしたら自分の全部をひっくり返してしまうかもしれない。こちらを見上げて微かに口元を綻ばせたエックスの、初めて見せる笑顔らしい表情に本日二回目の後悔はきれいに霧散した。
朝食のメニューが何もつけないトースト一枚と水だけなのはさすがにダメだろう。文句もつけずに黙々とパンを齧るエックスを見守りながら反省する。衣食住は保証する、と啖呵を切ったそばからこれだ。食どころか衣の方も何も用意できなかったので、部屋着として使っていたスウェットを着てもらっているが、袖も裾も巻いても巻いても落ちてきてひどく不便そうだし、住もとても整っていると言える状況じゃない。
「君の服が乾いたら、着替えと必要なものを買いにいこう」
必要なもの、の具体的な名詞が全く出てこない。最寄りのショッピングモールは歩いても10分ほどだが、普段はこのマンションに隣接しているコンビニで何でも済ませてしまうために、あまり足を運んだことはなかった。
ベランダではためいている自分の一張羅をちらりと見てから、エックスは俯いた。
「お金、ないんだ」
しまった。また言いにくいことを言わせてしまった。昨日からのたった一晩で何度失敗しているんだろう俺は。
「エックスは出世払いって言葉は知っているか」
「出世払い?」
「君が大人になって、たくさんお金を稼ぐようになったらそのとき返してくれたらいいってことだ」
子供はそんなこと考えなくていいと言ってしまうのは簡単だったが、俺だったら子供の頃にそんな言い方をされたら嫌だったと思うから、自分にしては根気よく言葉を重ねた。
「ただし、衣食住については俺が提供することに君は同意したから、返済から除外する。直近でかかるのは、学業にかかる費用や遊興費か。領収書を俺が管理して、返済時に精算する。それでいいだろうか」
エックスは長い間俺の言ったことを反芻して、それから慎重に尋ねてきた。
「それって、シューに何にも得がなくない?」
「⋯⋯ないな」
「でしょ?」
なぜか内緒話でもするように、そして幾分得意げに念を押したエックスへもっともらしく頷いてみせた。
「その辺りはおいおい考えていくことにしよう」
元々あまり持ち合わせのない人間関係に対する根気が切れてきたので問題を先延ばししたのに、エックスはまだ考え込んでいる。
「あのね、僕、整理整頓得意だよ。あと洗濯もできる。アイロンがけも」
「それは助かるな」
素直に感嘆すると、エックスはちょっと頬を赤らめた。賢い子だ。自分のできる範囲で、ここにいていい理由を作り出そうとしている。
「洗濯物もきれいに畳めるんだ、いつもお母さんが、」
あ、と思ったのが顔に出てしまっただろうか。もう一度小さく、お母さんが、と呟いたエックスの頬につるりと透明な雫が伝った。立ち上がってダイニングテーブルを回り込み、彼の薄い肩を、頭を抱き込む。
「⋯⋯やっと泣けたな。心配していた」
されるがままになっているエックスからの返事はなかった。
「君の服が乾いたら、着替えと必要なものを買いにいこう」
必要なもの、の具体的な名詞が全く出てこない。最寄りのショッピングモールは歩いても10分ほどだが、普段はこのマンションに隣接しているコンビニで何でも済ませてしまうために、あまり足を運んだことはなかった。
ベランダではためいている自分の一張羅をちらりと見てから、エックスは俯いた。
「お金、ないんだ」
しまった。また言いにくいことを言わせてしまった。昨日からのたった一晩で何度失敗しているんだろう俺は。
「エックスは出世払いって言葉は知っているか」
「出世払い?」
「君が大人になって、たくさんお金を稼ぐようになったらそのとき返してくれたらいいってことだ」
子供はそんなこと考えなくていいと言ってしまうのは簡単だったが、俺だったら子供の頃にそんな言い方をされたら嫌だったと思うから、自分にしては根気よく言葉を重ねた。
「ただし、衣食住については俺が提供することに君は同意したから、返済から除外する。直近でかかるのは、学業にかかる費用や遊興費か。領収書を俺が管理して、返済時に精算する。それでいいだろうか」
エックスは長い間俺の言ったことを反芻して、それから慎重に尋ねてきた。
「それって、シューに何にも得がなくない?」
「⋯⋯ないな」
「でしょ?」
なぜか内緒話でもするように、そして幾分得意げに念を押したエックスへもっともらしく頷いてみせた。
「その辺りはおいおい考えていくことにしよう」
元々あまり持ち合わせのない人間関係に対する根気が切れてきたので問題を先延ばししたのに、エックスはまだ考え込んでいる。
「あのね、僕、整理整頓得意だよ。あと洗濯もできる。アイロンがけも」
「それは助かるな」
素直に感嘆すると、エックスはちょっと頬を赤らめた。賢い子だ。自分のできる範囲で、ここにいていい理由を作り出そうとしている。
「洗濯物もきれいに畳めるんだ、いつもお母さんが、」
あ、と思ったのが顔に出てしまっただろうか。もう一度小さく、お母さんが、と呟いたエックスの頬につるりと透明な雫が伝った。立ち上がってダイニングテーブルを回り込み、彼の薄い肩を、頭を抱き込む。
「⋯⋯やっと泣けたな。心配していた」
されるがままになっているエックスからの返事はなかった。
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