【R18】5.1ユシュ主♂胸糞

 扉の向こうで騒がしくしていた連中が去り、辺りが静まり返ってから幾ばくかの時間が経った。旧友の形見を飽くことなく手の中で弄ぶ。あいつらは扉のこちら側にまで言い聞かすように散々戦争だ魔界の危機だと騒ぎ立てていった。今更ゼクレスとバルディスタの関係がどうなろうが知ったことじゃない。俺のやるべきことも、その理由も今は失われた。全ては俺の責任だ。

 大魔瘴期まで残された猶予はほんのわずかだった。力尽くだろうが何だろうがゼクレスとバルディスタ両国を下して大魔王の座を手に入れねば魔界を救えないと判断をした、結果がこの失態だ。功を焦ったがために数知れない命が無為に失われ、俺が国を興した理由も呆気なくこの腕の中で潰えた。後悔は胸の奥を黒く塗りつぶしていく。
 俺自身がどれだけ未熟であろうとも、ナジーンが傍にいて小言をもらっている間は、後顧の憂いをなきものとしてどこまででも走っていけた。幾度となく失敗を重ねても、未来を信じられた。
 しかし今は。
 どれだけ息を吐き出しても黒いものは溜まっていくばかりだ。あの瞬間の記憶を何度もやり直しては本当に詮無いことだったのか、少しでも後方に注意を払っていれば防げた事態ではなかったかと検証を続けている。俺が戦争の引き金を引かなければ。いや、前線に出る際あいつについてこいとさえ言わなかったら。何の意味も価値も持たない反芻を分かっていて、だがそうでもしていないと自分を保っていられなかった。

 再びのノックの音に顔を上げる。ここに用のある者がまだいたか。あるいはイルーシャ辺りがずっと扉の前で待っていたのか。ドア一枚隔てただけの気配すら感じ取れなかった自分を少し嗤う。
「ユシュカ」
 イルーシャではない。耳を澄ましていなければ聞こえないほどに静かなそれは、忌まわしい元しもべの声だった。噛み合っていた運命の歯車がおかしくなり始めたのは、魔仙卿がこいつに次期大魔王の可能性を見出し、袂を分かったその後からではなかったか。今更何の用件だ。もうここにいても得られるものはないだろう。さっさとゼクレスなりバルディスタなり行ってしまえばいい。
 無視を決め込んでいるのにもう一度、戸を叩かれた。……しつこい。
「……命を賭して助けたあなたがそんな有様では、あの人の死は無駄でしたね」
 扉を挟んだ分聞き取りづらい筈の単語ひとつひとつがやけにくっきりとした輪郭を持って喉元に絡みつき、冷たい手が心臓を掴む。形見が手の中から滑り落ちた。立ち上がる。乱暴に開けた扉の向こうで元しもべは、声に含ませた通りの呆れた顔で突っ立っていた。その二の腕を掴み力任せに部屋へ引きずり込み、床に叩きつける。呆気ないほどに軽い身体だった。背後で再び扉が閉まり、採光に乏しい室内へ薄闇が降りる。背中を強打して呻く、その頭の両脇に手をついた。
「今、何と言った」
 組み敷いた身体は痛みをやり過ごした直後だというのに怯むことすらなく、同じ台詞を繰り返す。
「あなたの副官は無駄死にだったと、そう言ったんです」
 怒りで目の前が赤に染まるようだった。
「お前に何がわかる……!」
「少なくとも今のあなたよりはあの人の気持ちをわかっていると思いますけど。こんなところで無駄に時間を潰していられるあなたがよくそんなこと聞けたものですね」
「──!」
 床を殴りつけた拳は擦り傷を負っただけで世界に何の影響も与えない。ただ、打ち付けた箇所が熱を持って、今生きている実感を覚えた。元しもべが手を伸ばして血の滲むそこに触れ、相変わらず冷ややかな目をしたまま治癒の呪文を口にする。何がしたいんだろうこいつはと訝しく思い、すぐにそれはお互い様かと考え直す。
「ねえ」
 治癒の光の収束を待たずに見上げてくるのにつられて目を合わせると、視界に入った口角が緩く上がった。
「慰めてあげましょうか」
 
 自分から言い出したことだからその後のこいつは至極従順だったが、言い出した割にその手の経験には乏しいようだった。拙い手技をすぐに見限って、咥えてみろと促すと素直に口を開ける。生温い口内に包まれてようやく雰囲気だけでも出てきたかと思えば、そのまま固まるから呆れ返った。
「大きな口を叩いた割には不甲斐ないことだな」
 吐き捨てると、不快そうに眉をひそめてやっとたどたどしくそこに舌を這わせ始める。直接的な接触によりもたらされる快楽よりも、心ない嘲笑がこいつの感情を僅かでも揺らしたことの方が快かった。片手で頭を押さえておいて半ばまでしか愛撫を受けられていない己を喉奥まで突き上げてやると、くぐもった苦鳴と共に正常な嘔吐反射が返ってきたが、歯が立てられるようなことはなくて感心する。健気なものだ。束の間二度目を警戒していたが、やがて恐る恐ると言った調子で愛撫が再開される。吐き気を堪えたせいか溢れた唾液がピチャ、と水音を立てた。太股に置かれたこいつの手のひらの、冷たい指先に力が籠る。どこをどうすれば相手に快楽を与えられるかは理解しているものの、唇や舌が思う通りに動かず苛立っているのが真っ直ぐに伝わってきて可笑しい。頬を撫でていた指先を立てて爪を滑らせると、容易に傷ついた肌から鮮血が一筋流れ落ちたが、もうその程度では元しもべは表情を変えなかった。
 何故あいつが死んで、俺が生き残っているのか。ファラザードを遺されたら後も追えないではないか。
 もはや性行為の範疇を越えてただの折檻にひたすら耐えている従順な身体を無造作に揺さぶる。どれだけ血を流させようが悲鳴を上げさせようが、俺を見る冷めきった目の色を恐怖に染め上げることは出来なかった。何度目かわからない欲望を最奥で解き放ってから、最後まで抵抗しなかった身体をようやく離した。半分意識を失っているのか、薄く目を開けて扉の方に顔を向けたままの元しもべには構わず、乱れた着衣を整える。
「……気は、済みましたか」
 涸れた声でかけられた台詞は、いつもの調子と全く変わりなく。床に飛び散る血痕から考えても少々の怪我では済んでいない筈の元しもべが、何でもないことのように身を起こした。息つく間もなく先程よりは少し長い治癒の呪文を唱え始める。大小あちこちにつけた傷がきれいに消えるまでほんの瞬きほどの時間も必要としなかった。元のように衣服を身に付ける時間の方がかかったくらいだ。俺がこいつにつけた痕はこうして簡単に「無かったこと」になるのだろう。
「俺を憐れんで、救済の真似事までして、お前はさぞかし気持ちいいだろうな」
 見えぬ傷でもいい、こいつに何か残してやりたいとの衝動から出た謗りだった。
「ええ、とても」
 嬉しそうに目を細めた元しもべは次の瞬間表情を消した。
「──とでも言ったらあなたは満足ですか?」
 そのまま立ち上がり、扉を解放する。
「俺が何を考えてようが関係ない。要はあなたがここで立ち上がるか否か、それだけです」
 陽光を背に意味ありげに振り返ったその語尾は、アビスジュエルの煌きと共に消えた。
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