【R18】新婚さん夜桜デートする

「カミハルムイの桜が咲いたそうなんです」
 いやその話、今するかと危うく口を滑らせるところだった。
 何しろ浮かぬ様子の上司をやっと口説き落として寝所に連れ込み、その襟元に意気揚々と手をかけたところだったのだから。
「……もうそんなに経つか」
 少々という単語では片付けられない落胆を隠し、何でもないように話を合わせるのも魔王の矜恃あればこそ。視線を彷徨わせている相手の、次の言葉を探すように半端に開いた唇へ軽い口付けを落とす。それを区切りに逢瀬への未練を断ち切ってベッドから降りた。
 普段滅多に自我を出してこない大魔王たってのお誘いだ。無碍にする訳にはいかないだろう。それに軽い晩酌を伴った夕餉の最中にもずっと何かを言いたげだったこいつに気付いていながら、本当に重要な用件なら放っておいてもその内言い出すだろうと楽観視して自分の欲望を優先させた俺の落ち度もある。
「ユシュカ?」
 振り返ると、言い出しっぺの癖に人のテンポについてこれていない大魔王が慌てて身を起こしたところだった。
「行くぞ」
「今からですか?」
「盛りの短い花なのだろう? これを逃したらお互い次がいつになるかわからん」
 こいつが潤沢に持っている移動用のアイテムに便乗すれば、散歩程度の外出だ。多忙同士の気分転換にはちょうどいい。
「あの」
 おずおずと寄ってきてまだ言葉を探しあぐねていた大魔王がやっとこちらを見上げた。
「ありがとうございます」
 淡くはにかんだその表情が己のみに向けられたものであること、夜更け過ぎという時分に逢引のパートナーとして選ばれたこと、今宵の褒賞には充分ではないか。
 
「こいつはまた……、見事なものだ」
 城の中庭に屋根をかけるように広がる枝ぶりに沿って、溢れんばかりの花弁が咲き誇っている。昼間とは一転して、四方を囲む建物の薄明かりに浮かぶ闇夜の巨木の姿からは、花の神秘的な美しさ以上に力強い生命力が真っ直ぐ伝わってきて、圧倒された。横に並んだ大魔王と二人、玉砂利の庭に直接座り込み、押し寄せてくるような生の光景にしばし言葉を奪われた。
「去年の冬が来る直前に、枝の剪定を手伝ったんです。その縁で庭師の方から満開の便りをいただいて」
 自然そのものの勇猛さを見せる巨木にも、巧みに人の手は入っている。人と自然との、その奇妙なバランスと共存を思う。
「花の縁か。お前があちこちで売った恩もたまには返ってくるのだな」
「いつもお礼はいただいてます」
 心外そうな万年おせっかいに睨み上げられた。
「お前の働きに見合った礼か」
「俺がいただいたものを勝手に値踏みしないでください。俺がいいって言ってるんだからいいんです」
「お人好しも大概にしろ。お前はもっと自分の価値を知っておいた方がいい。その調子であちこち気軽に手を出していては、いつうっかり触れてはならないものの逆鱗に触れてこの世から退場の憂き目に遭ってもおかしくない」
「……そんな大げさな話じゃないでしょう?」
 謝礼の価値の話が、ただ我が身を案じられているだけの内容にすり替えられたことに気付いた大魔王が気まずそうに口をつぐみ再び頭上を見上げた。僅かに強ばりを見せた横顔がすぐに花に魅せられてほどけるのを微笑ましく見守る。柔らかな頬に桜とはまた種類の異なる朱が微かに浮かんで、食んだら美味そうだと欲に駆られた感想を抱いた。と、花から目を離した大魔王がこちらをちらりと見やって顔を背ける。
「俺の顔はいつでも見られるでしょう」
「よく言う。ファラザードに顔を出したのはいつぶりだ」
 月日くらいは数えているだろうと思ったのに、相手の時が少々止まって呆れた。
「……半月ほどでしたか」
 嘆息する。
「まるひと月、だ。お前が忙しいのは理解している。そこを責めるつもりはない。だがたまに帰ってきた時くらい俺が満足するまでその顔を見て何の罪になる」
「こっちが落ち着きません」
「ワガママな大魔王サマだ。ならば」
 こうだ、と視線を花に戻し隣の肩を抱き寄せれば、ええ、とあからさまに不満の声が上がった。もぞもぞと抵抗を見せる身体を許さず抱いた腕に力を込める。
「誰か見てたら」
「こんな時間にか。そいつは生者ではないかもしれないな」
 茶化すと、やめてくださいよともう少しで軽蔑の混じりかねない呆れた声を出した大魔王がひとつ溜息を吐いて恐る恐る体重を預けてきた。どうせすぐに折れるのに、何をするにも手間をかけさせるやつだ。そして近頃では一筋縄ではいかないそこがいいと本気で思い始めている自分もどうかしている。
「桜は、魔界にも根付くと思うか?」
「いいですね、どこに植えましょうか」
 当然、最初はファラザードにと言いたかったが砂漠の土壌改良から考えると途方もない金と時間もかかりそうだ。
「癪だが手間と時間を考えればゼクレス辺りが妥当だな」
「……俺は、砂漠に咲く花も見てみたいと思いますけど」
 突然急転直下の可愛い爆弾を投げてくるので言葉に詰まった。我が伴侶は必死で口説き落として娶った甲斐があるどころかそれを借りとでも思うのか、たまにこうやってとんでもない額の利子をつけて元本返してくるから始末に負えない。
「……いいだろう、お前の望みとあらば、魔王の威信にかけて砂漠に花を咲かせてやろうじゃないか」
「え、待ってください雑談じゃなかったんです?」
 焦ったように顔を上げるので、ちょうどいいとそのおとがいを掴み手付をいただく。
「俺もそのつもりだったがお前に火を付けられたからには仕方ないだろう」
 
 
「──ッ!!」
 腹の上の身体が何度目かの絶頂に震える。こわばる肌が孕む熱にも、解き放った精を残らず搾り取ろうとする内壁にも、きつく寄った眉にも、顎の先からひとしずくしたたり落ちた汗だか涙だかわからない液体にも、五感が感じる全てに煽られて、なかなか終わりの糸口を掴めずにいた。
 息を整える間も置かず、上に乗った腰がゆらりと揺れて、過ぎる快感に息を詰める。荒い呼吸を繰り返しながら、確かに大魔王は笑った。
 
 城に戻り、あとは寝るだけと着替えた矢先に、続きは?と袖を引かれ唖然とした。既に今から横になっても一睡できるかどうかという時刻だ。なぜこういうタイミングに限って出血大サービスを寄越してくるのだろうこいつは。
「明日朝早いんですか?」
 いや、早いが。
 即答しようとして考え込む。確かに早いが、俺が一日寝坊したくらいで傾く国だったらとっくの昔に何十回も滅んでいる。まあこいつを存分に抱き潰しておいて、大魔王の看病名目でなら遅刻の言い訳も少しは立つのでは。ナジーン辺りには通用しないだろうが後で小言を聞けばいい。
「……いや」
 つい悪い笑い方をしそうな自分を抑えて、返事は控えめにした。
 
 が、ここまで誠心誠意尽くされてしまうと投げ捨てた筈の良心が痛む気がする。俺の腹に突いた頼りない両腕には見ればわかるほどの震えが来ているではないか。こいつにもそういう気分の時はあるのだろうが、ちょっと飛ばし過ぎだ。その腕を引いて腹の上に倒れ込ませる。起き上がれないように背中に腕を回した。
「な、に……?」
 怪訝そうな問いかけに、まだ足りないかと聞き返すと少しの逡巡の後、首を左右に振った。体勢を入れ替え、お互いの呼吸が鎮まるまで汗ばんだ頬に額に唇を落として待つ。
「……砂漠の桜がカミハルムイのような巨木に成長して美しい花を咲かす頃には、きっと俺はこの世にはいないんだろうなと思ったら」
 ちょっとよくわからないんですけど、やだなって。
 口付けを受けながら、ぽつぽつ喋り始めた声は今にも闇に紛れて消え入りそうで、耳を澄ます。
 死ぬのが怖いとかじゃなくて、いや怖いんですけどそれとは別で、あなたがひとりで桜の木の下に立ってるの勝手に想像してやだなって思ったんです。
 独り言のような懺悔のようなそれに、込み上げたのは、純粋なる喜びだった。明らかにこちらに対して向けられた強い執着と、その思いを、自分の感情を口に出すのが不得手極まりないこいつが素直に明らかにしたこと、それはどちらも甲乙つけ難い喜びを俺に与えた。
「やはり、お前の中のカミサマたちに人の身からはみ出したお前が、あとどれくらい生きられる目算があるかくらいは聞いてみた方がいい」
「ですよね……、そうは思うんですけど、覚悟が決まるまでもう少し待ってもらえませんか……?」
 より良い生を生ききるために必要な情報だとは思うが、その開示を今では俺も同じくらい恐れているということをお前が知ったら一体どう思うのだろうな。
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