勇者と魔王と大魔王樣
やむを得ず手を組んだ間柄とは言え、アストルティアの勇者サマとは今ひとつ馬が合わない。魔界とあちらの禍根などという大それた事情ではなく、個人的な相性の問題だ。動きやすく作られた瀟洒な衣装が包む少女の身体は細くしなやかで発展途上の可能性を大いに秘め、金糸のごとき繊細優美な巻き毛が縁取る白磁の輪郭、その意志の強さを体現したような秀眉に似つかわしい全てを見抜かんとする大きな瞳、華奢なおとがいから発せられる声は天鵞絨のなめらかさ、彼女を形作るパーツひとつひとつがまるで熟練の職人の手で丁寧に仕上げたかのような一級品で、否応なしに人の目を惹き付ける。どこを取ってもかなりの上玉なのは間違いないのだが、残念ながら食指は動かない。恐らくは、勇者の帯びる使命が彼女自身を下賎な視線に晒すことを許さないのだろう。天鵞絨の声が告げるのは、ただ祖国を脅かす巨悪を排除する、強い決意のみ。真面目なことだ。
六聖陣の話を聞き終え振り向いた大魔王が睨み合う俺と勇者を見咎め、肩を落とした。
「アンルシア」
静かな声ではあったが、勇者の反応は早かった。ぱっと顔を上げ大魔王の方へそれほどでもない距離を飛ぶように駆け寄る。それほどでもない距離だというのに、何事かを彼女へ囁くあいつの言葉はここまで届かない。俺たちに背を向けて相槌を打つ勇者の声の方がよく通るくらいだ。彼女に向けられているのは、俺にはついぞ見せたことのない穏やかな表情、聞き分けのいい子に言い聞かす、低く落ち着いた声色。姿形は全く似たところのない二人なのに、仲睦まじい兄と妹のやりとりを見せられているようにも感じた。
何となく面白くない。
「──かったわ。あなたがそう言うのなら」
少々気まずそうに首肯し、勇者はこちらに向き直った。先程までは負けん気ばかりが主張していた目の色に真摯さを加え、改めて俺を見る。
「アストルティアを守るために、私は何としてでも神殺しの秘技を会得するわ。……ユシュカ、あなたにも守りたいものがあるのね?」
「当然だ」
笑って応じる。どんな話をしていたのかが何となく知れた。
勇者は返答を噛み締めるように頷いた。
「では、行きましょう」
せっかちな姫君が足早に聖堂を出ていく。ちょうど勇者がいた位置に、今度は大魔王が立つ。
「可愛いものだな」
「でしょう?」
珍しく素直に、そして少しだけ得意げに大魔王は口元を綻ばせた。
「お前も妹を諭す兄のようだった」
こっちも素直に感想を口にすれば、目の前の笑顔がすっと消えて、次の返答までに思いの外長めの間が空いた。
「……グランゼドーラの第一王子は、彼女が最も敬愛するたった一人の兄君でした。最期まで勇敢な人だった。二人きりの兄妹だったんです」
先程とは打って変わって、聞かされた方の背筋がひやりとするような声音だった。
勇者の背中が消えた聖堂の入口に視線を移す。
誰しも今日に至るまで生きてきた道中で背負わされた荷物のひとつやふたつはあるということなのだろう。
息を吐き空気を緩めた大魔王が同じように入口の方に目をやった。
「……ごめんなさい、俺が口を滑らせたこと、彼女には黙っててもらえます?」
「承知した。盟友の口が軽いと勇者も苦労するな」
「勇者がアストルティアを守るなら、その勇者を守るのは盟友である俺の役目ですから」
牽制されたか。アストルティアの歴史も文化も、勇者がこれまで切り開いてきた道もその人となりもろくに知りもせずに直感だけでその器をはかるなと。
二人まとめてお説教された形だ。なかなかの手際に苦笑を漏らす。こいつよりも遥かに長い時間を生きてきてこのザマなのだから、もう笑うしかない。反省は、修行しながらでもできるだろう。
「大魔王サマは存外説教上手だな」
「臣下の察しが良くて俺も助かります」
黄昏の差すような憂い顔を引っ込めて大魔王は、べっと舌を出した。勇者と違って全く可愛げがない。だが、今となっては甘かった当初の見込みを遥かに超えたところで折れずに大魔王の責務を果たし続けているこいつに、個人的な好みじゃないなんて我儘を言おうものなら次の瞬間には尻でも蹴っ飛ばされかねない。
「アストルティアの希望を、どうかよろしくお願いします」
「大魔王の命とあらば謹んで受けよう。代わりと言っては何だがイルーシャのことは頼んだ」
「もちろん」
会話を終え、ルティアナの依代を呼ぶ大魔王を置いて、神殿を後にする。建物の外で少女は真剣な面持ちで闘戦聖母の話を聞いていた。修行は六聖陣が直々に指導に入るとか。世界の危機は置いておいて、新しい力を手に入れることもその相方が魔界にその名を轟かすアストルティアの勇者であることも、貴重な経験が向こうから転がり込んできたのだから、多少浮足立つ気持ちくらいは許してもらいたいものだと思う。
六聖陣の話を聞き終え振り向いた大魔王が睨み合う俺と勇者を見咎め、肩を落とした。
「アンルシア」
静かな声ではあったが、勇者の反応は早かった。ぱっと顔を上げ大魔王の方へそれほどでもない距離を飛ぶように駆け寄る。それほどでもない距離だというのに、何事かを彼女へ囁くあいつの言葉はここまで届かない。俺たちに背を向けて相槌を打つ勇者の声の方がよく通るくらいだ。彼女に向けられているのは、俺にはついぞ見せたことのない穏やかな表情、聞き分けのいい子に言い聞かす、低く落ち着いた声色。姿形は全く似たところのない二人なのに、仲睦まじい兄と妹のやりとりを見せられているようにも感じた。
何となく面白くない。
「──かったわ。あなたがそう言うのなら」
少々気まずそうに首肯し、勇者はこちらに向き直った。先程までは負けん気ばかりが主張していた目の色に真摯さを加え、改めて俺を見る。
「アストルティアを守るために、私は何としてでも神殺しの秘技を会得するわ。……ユシュカ、あなたにも守りたいものがあるのね?」
「当然だ」
笑って応じる。どんな話をしていたのかが何となく知れた。
勇者は返答を噛み締めるように頷いた。
「では、行きましょう」
せっかちな姫君が足早に聖堂を出ていく。ちょうど勇者がいた位置に、今度は大魔王が立つ。
「可愛いものだな」
「でしょう?」
珍しく素直に、そして少しだけ得意げに大魔王は口元を綻ばせた。
「お前も妹を諭す兄のようだった」
こっちも素直に感想を口にすれば、目の前の笑顔がすっと消えて、次の返答までに思いの外長めの間が空いた。
「……グランゼドーラの第一王子は、彼女が最も敬愛するたった一人の兄君でした。最期まで勇敢な人だった。二人きりの兄妹だったんです」
先程とは打って変わって、聞かされた方の背筋がひやりとするような声音だった。
勇者の背中が消えた聖堂の入口に視線を移す。
誰しも今日に至るまで生きてきた道中で背負わされた荷物のひとつやふたつはあるということなのだろう。
息を吐き空気を緩めた大魔王が同じように入口の方に目をやった。
「……ごめんなさい、俺が口を滑らせたこと、彼女には黙っててもらえます?」
「承知した。盟友の口が軽いと勇者も苦労するな」
「勇者がアストルティアを守るなら、その勇者を守るのは盟友である俺の役目ですから」
牽制されたか。アストルティアの歴史も文化も、勇者がこれまで切り開いてきた道もその人となりもろくに知りもせずに直感だけでその器をはかるなと。
二人まとめてお説教された形だ。なかなかの手際に苦笑を漏らす。こいつよりも遥かに長い時間を生きてきてこのザマなのだから、もう笑うしかない。反省は、修行しながらでもできるだろう。
「大魔王サマは存外説教上手だな」
「臣下の察しが良くて俺も助かります」
黄昏の差すような憂い顔を引っ込めて大魔王は、べっと舌を出した。勇者と違って全く可愛げがない。だが、今となっては甘かった当初の見込みを遥かに超えたところで折れずに大魔王の責務を果たし続けているこいつに、個人的な好みじゃないなんて我儘を言おうものなら次の瞬間には尻でも蹴っ飛ばされかねない。
「アストルティアの希望を、どうかよろしくお願いします」
「大魔王の命とあらば謹んで受けよう。代わりと言っては何だがイルーシャのことは頼んだ」
「もちろん」
会話を終え、ルティアナの依代を呼ぶ大魔王を置いて、神殿を後にする。建物の外で少女は真剣な面持ちで闘戦聖母の話を聞いていた。修行は六聖陣が直々に指導に入るとか。世界の危機は置いておいて、新しい力を手に入れることもその相方が魔界にその名を轟かすアストルティアの勇者であることも、貴重な経験が向こうから転がり込んできたのだから、多少浮足立つ気持ちくらいは許してもらいたいものだと思う。
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