エックスくんとサレさんとシューさん
※三人でシェアハウスしてて、各人の都合が付けば一緒に冒険するスタイルでお送りいたします。エックスくんとシューさんはデキてる。
整理中の道具の山から床へ転がり落ちた小さな布袋を、かがみ込んだサレが拾い上げた。
「エックス、落ちたわ──きゃっ!」
普段のおっとりした様子からは想像もつかない勢いで手を伸ばした荷物の主に差し出したものを奪い取られ、思わず小さく悲鳴を上げる。
「ごめんサレ! これは、ええと、危ないから」
ただでさえ丸い瞳を更に大きくし、慌てて懐にしまい込もうとしたエックスの手を引き止めて、サレはその中を覗き込もうとした。
「サレ! 駄目だよ!」
「ねえ、そんなに危ないものどうしてエックスが持っているの?」
危険物を無頓着に荷物の中へ突っ込んでおいて、挙げ句秘密を秘密にもしきれないドジを踏む彼へ、事情説明を求める権利くらいはこちらにもあると思う。二の句を継げずに目を泳がせたエックスに、サレは追い打ちをかけた。
「……私たちにも言えない話なの?」
「エックス、落ちたわ──きゃっ!」
普段のおっとりした様子からは想像もつかない勢いで手を伸ばした荷物の主に差し出したものを奪い取られ、思わず小さく悲鳴を上げる。
「ごめんサレ! これは、ええと、危ないから」
ただでさえ丸い瞳を更に大きくし、慌てて懐にしまい込もうとしたエックスの手を引き止めて、サレはその中を覗き込もうとした。
「サレ! 駄目だよ!」
「ねえ、そんなに危ないものどうしてエックスが持っているの?」
危険物を無頓着に荷物の中へ突っ込んでおいて、挙げ句秘密を秘密にもしきれないドジを踏む彼へ、事情説明を求める権利くらいはこちらにもあると思う。二の句を継げずに目を泳がせたエックスに、サレは追い打ちをかけた。
「……私たちにも言えない話なの?」
程なく折れたエックスが慎重に布袋から出してテーブルの上に乗せたそれは、どう見ても何の変哲もない植物の種子だった。黒くて丸みを帯びてて鈍い艶がある。サレには種類まではわからない。
「ゆめみの花の種って、サレは知ってる?」
多くの道具屋に並んでいる花はともかく、種の方は実際に育ててみないと目にする機会がない。これがそうなんだ、と素直に感心した。
で、これの何が危ないの?
サレの顔に浮かんだ疑問を受け、エックスが説明を続ける。
「僕も受け売りなんだけど、ゆめみの花って現代では株分けでしか育たないんだって。種は幻と言われるほどの希少品で……ってきっとすごく高く売れるけどお願いだから最後まで聞いてサレ」
途端目を輝かせたサレを制止して、エックスは種を今度こそ道具袋にしまい込んだ。
「種をこのまま飲むと、その人が今一番見たい夢を見せてくれる。けれど飲んだ人は夢の世界から帰ってくることなく死んでしまう。花と違って種は強い毒を持ってるんだ」
「……そう、だったの」
いくら高く売れるからと言って、誰の手に渡るかわからない市場に流すには危険すぎる品だということは理解できた。
「でも何故、あなたがそんなものを?」
問いを重ねると、エックスはちょっと痛そうな顔をした。立ち入りすぎたかもしれない。けれど、口に出してしまった言葉を今更無かったことにもできなくて、サレは種が転がっていた場所に視線を落とす。窓からの西日がテーブルの上に伸び始めている。じきに今日という何てことのない一日が終わる。
再び口を開いた彼の声は静かだった。
「旅の途中でお世話になった人に、病で臥せっている奥さんがいたんだ。割と裕福なお宅だったから、あらゆる手を尽くしたそうだけどもう長くはないという話だった。で、彼女の最期のお願いが、今まで散々苦しんだから、ゆめみの花の種でいい夢を見ながら楽に死にたいって」
テーブルの上に乗っているエックスの手が、視界の隅でかすかに震えたので、サレは自分の手を伸ばしてそっと彼の手の甲に重ねた。
先のそう長くない人の切実な願い。きっと悩みながらも、エックスは断れなかった。
大丈夫、その痛みを私にも分けてほしい。
思いを込めてハシバミの瞳を見上げれば、エックスはちょっと虚を突かれたような顔をして、それでも次の瞬間には「大丈夫だよ、サレ」と笑った。やっぱり肝心なことは口に出さないと伝わらない。
「全然手がかりがなくて最初は困ったよ。知ってる限りの道具屋や行商人をあたってみたり、花の出荷元の畑を訪ねたり、果ては過去の世界も回ってみたりしたんだけど全部空振り。でもキィンベルの錬金術のお店で、種は現代にはほぼ伝わっていないようだから時の摂理でも曲げないと無理かもしれないねって話を聞いた時に、ひょっとしたらって思って、ダメ元で花の苗をエテーネ王家の温室に持ち込んでみたんだ」
王家の温室。古のエテーネ王国にまつわる冒険譚の途中で、時渡りの力の源泉を保管していると聞いた場所だ。エックスの大雑把な説明ではどのような場所なのか全くイメージが沸かなくて、突っ込んで聞いてみたら「大きくてカラフルな玉ねぎがたくさん転がってる感じかな……」という情報が追加されて益々混乱したから、よく覚えていた。結局具体的な温室のイメージについては、ピンと来ないままだったけれど。
「ひょっとしたらどころじゃなくて、ぶっつけ本番にしては出来すぎなくらいうまくいったんだ。だけど、時の摂理を曲げて一粒だけ収穫できた種を持ち帰った時には既に遅くて、……葬儀まで終わった後だった。ご家族には申し訳ないくらい感謝されちゃって、種はうちにはもう必要のないものだから何かにお役立てくださいって言われて」
そのまま持ってはいるんだけど、使い道がわかんないんだよね。
もう一度苦く笑って、エックスは話を終えた。俯いた顔に従ってふわりとコルク色の癖毛が揺れる。最善を尽くしても報われないことは往々にしてある。わかってはいても、たったひとりのために世界中を訪ねて回った彼にこんな顔をさせるなんて、神様は残酷だ。重ねたままだった手の甲をサレはそっとさする。すんなりと伸びた指先が冷たくて、悲しい。とても口に出して言えることではないけれど、エックスが間に合わなくてよかったとも思う。間に合ってしまったら、彼はその夫婦に死と悲しみを運ぶ死神役を強いられることになったのだから。
「燃やしましょ」
「え?」
突然きっぱり言い切ったサレに、エックスはぽかんと口を開けた。
「希少な種の製造方法を、確立しちゃったってことでしょう? しかもエックスにしかできない方法で」
万に一つ、何の力もない一般の者が王家の温室に立ち入れたところで、時渡りの力をゆめみの花に作用させることまではできない。
「世の中には私たちには予想もつかない悪事を思いつく輩がいること、あなたはよく知ってるはず」
「でも」
「あなたに種を預けた人達だって、それが原因で良くないことが起こったらきっと悲しむわ」
反論する隙も与えずに畳み掛ける少女の勢いに負けたエックスが、迷子の子犬のように眉を下げた。
「……そうだね、サレの言う通りだ」
再び取り出された種が、彼の手のひらで灰も残さずに燃え尽きるまでの僅かな時間と小さな秘密を二人で共有した。
これでいい。
エックスの力が邪悪な意思に利用される可能性ももちろん心配だけど、サレが一番嫌だったのは、大切な人が道具袋の中の種を見る度に後悔に沈み、でも手放す決断もできずに生きていかねばならない、そんな日常に紛れてくる小さな不幸だった。
「ねえサレ、このことシューには」
子犬の表情のままのエックスに手を合わせられてサレは人の悪い笑みを返す。
「どうしようかしら。そういえば孤児院の方、収穫祭前で何かと物入りなのよね。子どもたちに贈り物もしてあげたいし。今年は誰かさんの寄付を期待していいのよね?」
「サレ~~!」
縋ってくるエックスを躱し、サレはそのまま自室に引っ込む。シューとエックスのことは彼ら二人の問題なのだから、元よりサレは口を出すつもりもない。
「ゆめみの花の種って、サレは知ってる?」
多くの道具屋に並んでいる花はともかく、種の方は実際に育ててみないと目にする機会がない。これがそうなんだ、と素直に感心した。
で、これの何が危ないの?
サレの顔に浮かんだ疑問を受け、エックスが説明を続ける。
「僕も受け売りなんだけど、ゆめみの花って現代では株分けでしか育たないんだって。種は幻と言われるほどの希少品で……ってきっとすごく高く売れるけどお願いだから最後まで聞いてサレ」
途端目を輝かせたサレを制止して、エックスは種を今度こそ道具袋にしまい込んだ。
「種をこのまま飲むと、その人が今一番見たい夢を見せてくれる。けれど飲んだ人は夢の世界から帰ってくることなく死んでしまう。花と違って種は強い毒を持ってるんだ」
「……そう、だったの」
いくら高く売れるからと言って、誰の手に渡るかわからない市場に流すには危険すぎる品だということは理解できた。
「でも何故、あなたがそんなものを?」
問いを重ねると、エックスはちょっと痛そうな顔をした。立ち入りすぎたかもしれない。けれど、口に出してしまった言葉を今更無かったことにもできなくて、サレは種が転がっていた場所に視線を落とす。窓からの西日がテーブルの上に伸び始めている。じきに今日という何てことのない一日が終わる。
再び口を開いた彼の声は静かだった。
「旅の途中でお世話になった人に、病で臥せっている奥さんがいたんだ。割と裕福なお宅だったから、あらゆる手を尽くしたそうだけどもう長くはないという話だった。で、彼女の最期のお願いが、今まで散々苦しんだから、ゆめみの花の種でいい夢を見ながら楽に死にたいって」
テーブルの上に乗っているエックスの手が、視界の隅でかすかに震えたので、サレは自分の手を伸ばしてそっと彼の手の甲に重ねた。
先のそう長くない人の切実な願い。きっと悩みながらも、エックスは断れなかった。
大丈夫、その痛みを私にも分けてほしい。
思いを込めてハシバミの瞳を見上げれば、エックスはちょっと虚を突かれたような顔をして、それでも次の瞬間には「大丈夫だよ、サレ」と笑った。やっぱり肝心なことは口に出さないと伝わらない。
「全然手がかりがなくて最初は困ったよ。知ってる限りの道具屋や行商人をあたってみたり、花の出荷元の畑を訪ねたり、果ては過去の世界も回ってみたりしたんだけど全部空振り。でもキィンベルの錬金術のお店で、種は現代にはほぼ伝わっていないようだから時の摂理でも曲げないと無理かもしれないねって話を聞いた時に、ひょっとしたらって思って、ダメ元で花の苗をエテーネ王家の温室に持ち込んでみたんだ」
王家の温室。古のエテーネ王国にまつわる冒険譚の途中で、時渡りの力の源泉を保管していると聞いた場所だ。エックスの大雑把な説明ではどのような場所なのか全くイメージが沸かなくて、突っ込んで聞いてみたら「大きくてカラフルな玉ねぎがたくさん転がってる感じかな……」という情報が追加されて益々混乱したから、よく覚えていた。結局具体的な温室のイメージについては、ピンと来ないままだったけれど。
「ひょっとしたらどころじゃなくて、ぶっつけ本番にしては出来すぎなくらいうまくいったんだ。だけど、時の摂理を曲げて一粒だけ収穫できた種を持ち帰った時には既に遅くて、……葬儀まで終わった後だった。ご家族には申し訳ないくらい感謝されちゃって、種はうちにはもう必要のないものだから何かにお役立てくださいって言われて」
そのまま持ってはいるんだけど、使い道がわかんないんだよね。
もう一度苦く笑って、エックスは話を終えた。俯いた顔に従ってふわりとコルク色の癖毛が揺れる。最善を尽くしても報われないことは往々にしてある。わかってはいても、たったひとりのために世界中を訪ねて回った彼にこんな顔をさせるなんて、神様は残酷だ。重ねたままだった手の甲をサレはそっとさする。すんなりと伸びた指先が冷たくて、悲しい。とても口に出して言えることではないけれど、エックスが間に合わなくてよかったとも思う。間に合ってしまったら、彼はその夫婦に死と悲しみを運ぶ死神役を強いられることになったのだから。
「燃やしましょ」
「え?」
突然きっぱり言い切ったサレに、エックスはぽかんと口を開けた。
「希少な種の製造方法を、確立しちゃったってことでしょう? しかもエックスにしかできない方法で」
万に一つ、何の力もない一般の者が王家の温室に立ち入れたところで、時渡りの力をゆめみの花に作用させることまではできない。
「世の中には私たちには予想もつかない悪事を思いつく輩がいること、あなたはよく知ってるはず」
「でも」
「あなたに種を預けた人達だって、それが原因で良くないことが起こったらきっと悲しむわ」
反論する隙も与えずに畳み掛ける少女の勢いに負けたエックスが、迷子の子犬のように眉を下げた。
「……そうだね、サレの言う通りだ」
再び取り出された種が、彼の手のひらで灰も残さずに燃え尽きるまでの僅かな時間と小さな秘密を二人で共有した。
これでいい。
エックスの力が邪悪な意思に利用される可能性ももちろん心配だけど、サレが一番嫌だったのは、大切な人が道具袋の中の種を見る度に後悔に沈み、でも手放す決断もできずに生きていかねばならない、そんな日常に紛れてくる小さな不幸だった。
「ねえサレ、このことシューには」
子犬の表情のままのエックスに手を合わせられてサレは人の悪い笑みを返す。
「どうしようかしら。そういえば孤児院の方、収穫祭前で何かと物入りなのよね。子どもたちに贈り物もしてあげたいし。今年は誰かさんの寄付を期待していいのよね?」
「サレ~~!」
縋ってくるエックスを躱し、サレはそのまま自室に引っ込む。シューとエックスのことは彼ら二人の問題なのだから、元よりサレは口を出すつもりもない。
シューが三人の家に帰ってきたのは、日付が変わろうかという時刻だった。出迎えるエックスを「先に寝ていろといつも言ってるだろう」と一応窘めてはくるが、構わずにこにこしておかえりを伝えるのが、誰かの帰宅が遅くなった日の恒例だった。ふと、部屋の隅にまとめられたエックスの道具袋に目を留めたシューが訝しげに眉を顰めた。
「荷物の整理でもしたのか?」
「えっ、なんで分かるの」
確かに整理はしたけれど、荷物の量自体に目に見えるほどの変化はない。目を丸くするエックスの頭をぽんと撫で、既に休んでいるはずのサレを憚ってかシューは少し落とした声で答えた。
「最近あの道具袋から嫌な気配がしていたんだが、それが消えた」
君に害を為すほどならば対処するつもりだったが、その必要はなくなったようだな。そう続けて、彼は荷物の山に向けた切れ長の目の端をほんの刹那緩めた。
「……気付いてたのに、聞かないでいてくれたんだ」
きまり悪そうにエックスが頬を掻く。
「大事なのは君がどうしたいか、だからな」
真っ直ぐに自分を労ってくる言葉に、優しい視線に、指先にいつもついつい甘やかされてしまう。サレだってそうだ。僕に甘すぎる。そうは思ってみても、二人がいてくれるからこそ自分という弱い人間がどうにか前を向いて歩いていける訳で。この優しい人達に僕は何を返せるだろうと、常々エックスは思い悩んでいる。まあその難題は今日も傍らに置いといて。
頭の上に乗ったままだったシューの手を取る。
「シュー、今日一緒に寝てもいい?」
「ああ、構わない」
想像した通りの返事と共に、自室の扉を開けたシューに招かれる。種のことは今日話しても話さなくても、もっと言えばそれを今決めてしまわなくてもきっと大丈夫だった。何を決意することも気負うこともなく、エックスは勝手知ったる部屋の戸をくぐった。
「荷物の整理でもしたのか?」
「えっ、なんで分かるの」
確かに整理はしたけれど、荷物の量自体に目に見えるほどの変化はない。目を丸くするエックスの頭をぽんと撫で、既に休んでいるはずのサレを憚ってかシューは少し落とした声で答えた。
「最近あの道具袋から嫌な気配がしていたんだが、それが消えた」
君に害を為すほどならば対処するつもりだったが、その必要はなくなったようだな。そう続けて、彼は荷物の山に向けた切れ長の目の端をほんの刹那緩めた。
「……気付いてたのに、聞かないでいてくれたんだ」
きまり悪そうにエックスが頬を掻く。
「大事なのは君がどうしたいか、だからな」
真っ直ぐに自分を労ってくる言葉に、優しい視線に、指先にいつもついつい甘やかされてしまう。サレだってそうだ。僕に甘すぎる。そうは思ってみても、二人がいてくれるからこそ自分という弱い人間がどうにか前を向いて歩いていける訳で。この優しい人達に僕は何を返せるだろうと、常々エックスは思い悩んでいる。まあその難題は今日も傍らに置いといて。
頭の上に乗ったままだったシューの手を取る。
「シュー、今日一緒に寝てもいい?」
「ああ、構わない」
想像した通りの返事と共に、自室の扉を開けたシューに招かれる。種のことは今日話しても話さなくても、もっと言えばそれを今決めてしまわなくてもきっと大丈夫だった。何を決意することも気負うこともなく、エックスは勝手知ったる部屋の戸をくぐった。
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