っていう夢を見たんですけど

「そのとばっちりで俺がこんな時間に起こされたわけか」
「埋め合わせはいずれ」
 嫌味を軽く受け流した大魔王から酌を受け、一息で飲み干す。一応気を使ってはいるようだが、城中の者が寝静まった頃を見計らったように部屋に侵入し城主のベッドへ忍び込んだ犯人に反省の色は露ほども見られない。今も人の肩に遠慮なく体重を預けたままマイペースに手酌の杯を舐めている。既に夜明けの方が近い時刻、酒が残っていては明朝頭の固い副官殿からお小言のひとつやふたつ食らう事態が十分に予想される。が、冴えない顔色の大魔王が決まり悪そうに語る突然の夜這いに至った経緯を聞いてしまえば飲ませないという選択肢はなかった。飲むだけ飲んで早く潰れてしまえばいい。
「夢の中のお前は明日が来ることを疑ってなかったんだろう? さほど悪くない終わり方なんじゃないか」
「かもしれませんけど、自分が死ぬとこなんか見せられて飛び起きて、のんきに二度寝なんかできませんよ」
 さも自分が被害者のように愚痴るので苦笑する。それに、と被害者気取りが顔を上げて付け足した。
「何か悪い予兆なのではないかと、あなたの顔を見るまで気が気じゃありませんでした」
 夢で見たものと反対の事象が現実に起こることをあちらでは逆夢と言うらしく。なんだその根拠の無い風説はと一蹴してしまうには、話し手の真剣味が過ぎた。真っ直ぐに見上げてくる視線はいつだって強く生真面目で、この目さえ見なかったことにすれば今俺は結構な勢いで口説かれているんじゃないかなどという浮かれた思い込みに身を委ねられるというのに。
「心配してくれた、と」
「当然です」
 寄せる思いの丈を推し量ろうとする問いの意図に気付くことなく即答して、大魔王はグラスを呷った。普段ならばとっくにフラフラになっている頃合いだが、白い頬に朱が差す気配は見られず、夢の余韻と緊張の方が余程色濃く滲む。それでも、こいつが悪し様に語るほどの悪夢だとは俺には思えなかった。むしろ自分にとってはそうであればいいという未来だと伝えたら、一体どんな顔をされるだろうか。それを考えるだけで少々愉快な気にさえなる。人と魔族との寿命差を考えれば、置いていかれるのは俺の方だ。ままならぬものだと重々承知しているがせめて、その生を俺の元で終えてくれたらとは常々思っている。
「⋯⋯とは言え、目が覚めて真っ先に思ったのは『良かった生きてた』だったんです」
 あなたの心配をする前に。
 人の気も知らずに自嘲を滲ませた口調で呟いて肩口に額を付けてくるから、やはり口説かれているのではという都合の良い思い込みに身を任せ、その背中を抱く。
「結構なことだ。死にたがりにはいい傾向じゃないか」
「どこの誰が死にたがりですか」
「自覚が足らんな」
「あなたにだけは言われたくないですね」
 急に不機嫌そうに鼻を鳴らす。こいつを庇って囚われの身になった件については未だに根に持たれているらしく、折に触れては蒸し返してくるが、どれだけ責められてもこっちが反省も後悔もしないことをそろそろ許してはくれまいか。何度あの一幕をやり直しても、その結果命を落としたとしても、俺は同じ選択をする。
「他人のためにはいくらでもお節介を焼ける癖に、自らの欲求は後ろめたく思うか」
 水掛け論に付き合うつもりはなかったので不穏な空気には構わず閑話休題を決め込めば、大魔王は開いた手のひらに視線を落とし、しばし沈黙した。
「……全部、借り物ですから」
「その心もか?」
 二つ目の問いに返答はなかった。身体も命も大いなる存在からの使命を果たすために借り受けたものだそうだが、いきさつを聞く限りでは貸し出した本人から「用が終わったら速やかに返せ」とはっきり条件明示されているわけではない。根拠不明な解釈は、こいつの勝手な思い込みに過ぎないと思ってはいる。ただ、その解釈の自由を邪魔するのは己の主義に反するので、答えたくないものを無理やり深追いするつもりもない。結論に至るまでのすべての過程をこの目で見てきたわけではないし、何よりそれが今愛おしく思っている腕の中の存在を作り上げた一因であることを思えば、頭ごなしに否定してしまうことはできなかった。数々の痛み苦しみから生み出し自分のものとした甘さを、優しさを、境遇のせいにすることでこいつが少しでも楽になれるのならば、使命などという馬鹿馬鹿しい概念にも存在意義があるというものだ。
 頭を抱き寄せて柔らかな髪に指を絡め、愛していると囁くと、たちまちその横顔に硬質な緊張が走って息を詰めるので、軽率な言動を後悔した。こいつを困らせるだけだとはわかっているから抑えていたのに、とりとめなく考えているうちに愛おしさがつい溢れてしまった。困らせたくはない。意中の相手の目に自分が映っていない現実にもそこそこ傷付く。わかっている割には同じような失敗をなかなかの頻度で繰り返している。
「……今、そういうアレでしたっけ」
 本音はともかく、指示語で構成された曖昧な確認を鼻で笑ってやる。
「そういうアレでなければ言ってはならないという決まりはないだろう」
 強い言葉で一時的に感情を揺さぶることができても、波が収まればまた元通りだ。いつものことだと自己防衛に努めつつ、腕の中におとなしく収まっている体の緊張が解けるのを待つ。と、その背がふと丸まって片手を胸に当てるから、気分でも悪くなったかと内心慌てた。
「どうした」
「……この胸の内を取り出して見せられたら、自分の気持ちがあなたと同じものなのかどうか確かめてもらえるのに」
 理解に、少々の時間を要した。まさか、持ち上げておいて叩き落とすつもりじゃないだろうな。趣味が悪いぞ。
「人に見てもらわねばわからぬ種類のものじゃないだろう」
「初めてでもちゃんと自覚できるものなんですか? なら多分違います」
 待った今初めてと言ったか?
 情報量が多い。宙を仰いで息を吐き、体勢を立て直す。
「お前が本当にそれを知りたいのなら、俺の目を見て、愛してるって言ってみろ」
 簡単だろう?と煽ってやったのに、相手の反応は今ひとつ腑抜けていた。
「たった一言でわかるものなんです?」
「知りたくないなら別に試さなくても構わないが」
 不信の色を隠すことなくこちらを見上げ、その唇が「あ」の形を取るのを夢を見るような心持ちで見守る。肝心の言葉が出る前に、みるみる頬が朱に染まった。結局一文字も発することなく大魔王は俯き口元を押さえる。
「すみません、急に酔いが回ったみたいで」
 耳まで血が上っていることまでは気付いていないのだろう。動揺を隠しきれていない身体を再び抱き込む。俺も今の自分の顔を見られるのは少々不都合に感じるのでちょうどいい。
「大体わかったから、無理しなくてもいいぞ」
「っ……!」
 肩が跳ねるのを憐れに思った。動揺ばかりではない感情を察して静かに宥める。
「変わりゆくことも、自分の望みを叶えることも、怖いか?」
「…………こわい」
 蚊の鳴くような声でそれでもはっきりと答えて、大魔王はそれきり口をつぐんだ。
 こいつが恐れるもののすべてを理解しきれるわけではないが、今すぐそいつを殴り飛ばしにいってやってもいいし、恐れとやらが消えるまで気長に待ってやってもいい。
 やがて来る別れを心配するよりも、生きている限り変わり続けるであろうこの関係を追うこと楽しむことの方が余程重要に違いないとの確信は深まるばかりで、そこへ隣の心配性の人生も盛大に巻き込んでやろうと企む。
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