待ちぼうけ

 大審門へさえ辿り着けずに死ぬ程度の実力だったら、俺の見込み違いだったときっぱり諦めるところだが。
 ただ単純に、遅い。
 血の契約の恩恵により新米しもべの生存の気配くらいは感じ取れはしても、詳しい位置や状況まではわからない。道に迷っているか、途中の魔物に手こずっているか。制限時間くらい切っておけばよかった。とんだ足止めだ。
 状況説明している間の、鳩が豆鉄砲を食ったような奴の間抜け面を思い出して少し笑う。それでも、名を聞いた際初めて聞いた声に怯えの色はなかったし、方角すらわからないはずの次の目的地への指示にも、既に覚悟を決めたようにしっかりと頷いた。見た目と裏腹な肝の据わり方は期待通りで、そのときは自分の判断に満足した。
 門下の集落を抜け、ゲルヘナの高台から辺りを見下ろす。この辺りは地形の起伏に富んではいるものの、視界を遮るものはなく見晴らしはいい。探しにいってやるほどの親切心は持ち合わせてはいないが、近くまで来ていればその姿が確認できるかもしれなかった。
 果たして、眼下、程近くを流れる川岸でのんびり釣り糸を垂らす新米しもべの姿を認めたときには膝から崩れ落ちそうになった。何だあいつは。わかったような顔をしておいて、俺の言葉を一から十まで理解していなかったんじゃないか。
 
「こら」
 丸い後ろ頭を小突くと、膨れっ面が振り返った。
「痛いじゃないですか」
「人を散々待たせておいてよく言う」
 指摘されて初めて気が付いたという様子で肩をすくめてみせる。今のところしもべの自覚が微塵も見られない。
「それは、すみませんでした」
「あちらではそういうものなのか、それともお前が特別いい加減なのか?」
 さすがに故郷への誹りは聞き捨てならなかったか、不愉快そうに眉をひそめて新米しもべは川面へ視線を戻した。そのまま水面に浮かんでは消える波紋を眺めて返答を待つ。
「……納得いかないまま行動に移すと、責任を負いきれなくなるので。少し頭を冷やしたかったんです」
「責任、か」
 しもべ風情が言い出すには大仰な単語を反芻する。後ろ姿をじっくり観察してみても、すとんとした背筋にも竿を操る指先にもその重荷の気配は感じ取れなかった。
「しもべの行動の責任は、すべてあるじが取るべきだろう」
 この世界にある常識の内では、口にするほどでもない当然の帰結を耳にしたしもべが、もう一度こちらを振り返る。そこに浮かぶ驚愕の表情を小気味よく思う。まんまるに開いた漆黒の瞳に映る自分の姿としばし対峙した。
 ふと、見開かれた目の力が緩む。漆黒のはずだった瞳に淡く輝く緑が混じった気がしてまばたきをした。
「では、あなたの言葉に免じて」
 手際よく釣り道具を片付け始める。釣果はないようだ。
「今は行きましょうか」
 相変わらずしもべらしさゼロのセリフと共に初めてこいつが見せた笑顔は、否応なしに人を惹き付ける魔力を含んでいて。
 ひょっとしたら俺は使える拾い物どころではないとてつもない「何か」を釣り上げてしまったのかもしれなかった。
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