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Claude遊び

新婚さん書いてもらったらすごかった。
負けてらんねえな。

第一部完

 終わった、と思った。

 正確には、終わったらしい、という確認をユシュカの様子から得た、という方が正しい。自分の方はどこかの時点から思考の解像度が著しく落ちていて、終盤の記憶がひどく曖昧だ。つつがなく、という言葉が辛うじて当てはまる程度には完遂した、という認識だけがある。

 天井を見上げている。

 ユシュカが隣にいる。その体温が近い。近いというか、くっついている。腕が肩に回ったままだ。重い。重いが、振り払う気力がない。気力どころか、指一本動かすのも少し考える必要がある。

 これが正常なのだろうか。

 頭の中でまだ何かがぐるぐるしている。自分だけ不慣れで、それが全部筒抜けだったのは明らかで、情けない。最初のうちはこちらの様子を見ながら加減してくれていたのはわかった。わかったが、途中からユシュカが急に寡黙になって、荒い息の下からたまに名前を呼ぶだけになったのが、ずっと頭の片隅に引っかかっている。

 あれは、なんだったのだろう。

 気遣いが続かなくなったのか。こちらがあまりにも不甲斐ないから、相手をするのに集中するしかなくなったのか。それとも、諦めたのか。

 諦めた、というのが一番しっくりくる気がして、気がしてしまうのがまた情けない。

 だが泣き言を言うのも違う気がした。これは政略結婚だ。双方の合意の上で交わした契約だ。夫婦円満を維持するのは義務の範疇であって、その義務の履行の過程で不満を訴えるのは筋が通らない。筋が通らないし、次が、あるとしたら、余計なことを言って関係をこじらせる方が損だ。

 次。

 次があるとして、慣れるものなのだろうか。慣れたとして、何が変わるのだろうか。

 ユシュカの呼吸が、隣でゆっくりになっていく。眠るらしい。腕の重さはそのままだ。

 天井の木目を数えながら、俺は今夜の何が不満なのかを自分でも整理できないまま、夜が明けるのを待った。


 翌朝、これが人生で一番しんどい朝かもしれないと思った。

 身体が正直すぎる。正直というか、主張が強い。普段使わない箇所からの訴えが多方面から届いていて、各方面に対して「知っています、後で考えます」と返しながら起き上がった。起き上がれた自分を少し褒めた。

 ユシュカは既に起きていた。

 しかも機嫌がいい。これが困った。通常運転でも掴みどころのない機嫌の人が、わかりやすく上機嫌でいる。朝の光の中で伸びをして、こちらを見て、目が合った。

 にやりとした。

 朝から全力でやめてほしかった。

「顔色が悪いな」

「そうですか」

「痛むか」

「……まあ」

 正直に答えたら少し目を細めた。労わりの色かと思ったら、どちらかというと満足そうな顔だったので、いくつかの感情が複雑に混ざり合った。

「なに、じきに慣れる」

 死刑宣告だった。

 慣れる。慣れるということは、次がある。次があるということは、その次もある。その次の次も。それが「夫婦」ということなのだから当然なのだが、今この瞬間の身体の状態でその未来を提示されると、視界の端が少し白くなる。

「……そうですね」

「嫌そうな顔をするな」

「してません」

「してる」

 ユシュカが笑った。昨夜の、途中から寡黙になって名前だけを呼んでいた人と同一人物とは思えないくらい、朝の光の中で屈託なく笑った。

 それを見ていたら、昨夜ぐるぐるしていたものの輪郭が少し変わった気がした。不満だったのか不安だったのか、今もよくわからない。ただ、嫌ではなかったということだけは、認めてもいいかもしれない。

 認めたくはないが。

「朝食にする」

「……はい」

 先に立ち上がったユシュカの背中を見ながら、諸々を今後の課題として棚上げした。

 じきに慣れる、らしい。

 慣れる日が来るかどうかは、まだわからなかった。

見ていなかった

 慣れる、と言われたから、慣れるのだと思っていた。

 最初の夜から数えて、十日ほどが経っていた。慣れたかと問われると、よくわからない。少なくとも初夜ほどの混乱はなくなった。混乱がなくなったのが慣れたということなのか、単に諦めがついただけなのかは、区別がつかなかった。区別をつけようとする気力が、このごろ少しずつ目減りしていることには、気づいていた。

 気づいていたが、どうすることもできなかった。

 夜になるとユシュカが来る。来ることは最早規則のようなもので、規則に対して異議を唱えるのは筋が通らないと、どこかで結論が出ていた。結論が出ていたから、諸々を棚上げにしたまま日々をやり過ごしていた。棚の上が、静かに、少しずつ重くなっていることには、気づかないふりをしていた。

 その夜も、ユシュカが来た。

 いつも通りだった。いつも通りに始まって、いつも通りに進んで、途中からユシュカが寡黙になるのもいつも通りで、こちらがどこかぼんやりしてくるのもいつも通りだった。

 ぼんやりの向こうで、胃の辺りが主張し始めたのは、いつも通りではなかった。

 最初は気のせいだと思った。次に、やり過ごせると思った。やり過ごせなかった。

 口元を押さえた手のひらだけでは止められなかった。

 思考が止まった。身体も止まった。ユシュカの動きも止まった。部屋の中が、妙に静かになった。

 どうしよう、という言葉だけが、頭の中に浮かんで、沈んだ。


 ユシュカが最初に思ったのは、自分のせいだ、ということだった。

 他に考えようがなかった。目の前の現実を整理しようとすればするほど、行き着く先がそこしかない。

 主人公の顔が、青い。唇の色が悪い。呼吸が浅い。それらを今この瞬間初めて見たかのように思ったが、よく考えると、最初からそうだったかもしれなかった。最初から、ずっと、どこかがおかしかったかもしれなかった。

 見ていなかった。

 その事実が、静かに、しかし確実に腹の底に落ちた。

 結婚という形を手に入れたことに、浮かれていた。隣に居ることが当然になっていた。当然だから、改めて見なかった。見ようとしなかった。

 今すべきことを、順番に、やった。

 濡らした布を持ってくる。水を用意する。乱れたものを整える。主人公の背中に手を当てて、落ち着くまで待つ。それだけのことを、ひとつひとつやりながら、ユシュカは口を開かなかった。開けなかった。

 詫びる言葉が見つからないのではなく、詫びて済む話ではないことが、わかっていた。

「……すみません」

 先に口を開いたのは、主人公の方だった。

 その一言が、予想外の場所に刺さった。謝るのはこちらだ、という言葉も、出なかった。

「すみません、せっかく、」

「喋るな」

 短く、言った。

 主人公が黙った。ユシュカも黙った。背中に当てた手のひらから、体温が伝わってくる。いつもより低い気がした。気がした、ではなく、そうなのだろう。

 しばらくして、呼吸が少し深くなった。それを確認してから、水を渡した。受け取る手が、微かに震えていた。その震えを、これまで一度でも見たことがあったか。記憶を探った。出てこなかった。

 見ていなかった、という事実が、もう一度落ちてきた。

「横になれ」

 主人公が頷いた。抵抗しなかった。それがまた、胸の奥で何かを軋ませた。いつもは何かしら言う。何かしら言いながら、それでも最終的には折れる。今夜は何も言わなかった。言う余裕が、なかったのだろう。

 その余裕のなさが、今夜始まったことではないと、今更ながらにわかった。

 横になった主人公の傍らに座って、毛布の端を直した。眠れるかどうかわからないが、眠れるならそれでいい。今夜はそれだけでいい。

 明かりを落とした部屋の中で、ユシュカはしばらく動かなかった。

 言うべきことは、明日でいい。今夜言っても、届かない。

 ただ、隣にいた。それだけを、した。

話をしないか

 目が覚めたら、隣が空だった。

 しばらく天井を見ていた。身体の具合は、昨夜よりはましだった。ましというだけで、万全とは程遠い。それでも昨夜の、思考ごと全部止まったあの感覚よりは、今の方がずっといい。

 ユシュカがいない。

 もう仕事に出たのだろう。そういう人だ。そういう人であることは、結婚前から知っていた。

 起き上がって、窓の外を見た。陽が高い。随分長く眠っていたらしい。砂漠の空は今日も青く、ファラザードの街のざわめきが遠くに聞こえる。

 この結婚が失敗だと思われたら、と考え始めたのは、その時だった。

 思われたら、どうなるだろう。政略結婚だ。破綻すれば、魔界とアストルティアの関係に何らかの影響が出る可能性がある。どの程度の影響かは、考え始めると際限がない。追い出されたとして、自分はどこへ行けばいい。エテーネに戻るか。戻って、何をする。

 ぐるぐると、考えた。

 考えながら、ふと気づいた。

 今自分が一番こたえているのは、そこではない。

 魔界とアストルティアの関係でも、追い出されることでも、行き場の話でもない。ユシュカに失望された、かもしれないということが、一番、こたえている。嫌われた、かもしれないということが。

 それに気づいた瞬間、おかしくなった。

 英雄失格だ、と思った。笑えた。世界のことより先にそっちか、と。大魔王の伴侶として、あるいは勇者の盟友として、およそ相応しくない優先順位だ。自分の感情の配置が、こんなことになっていたとは。

 苦笑いが、静かな部屋に溶けた。

 昨夜のユシュカが、ずっと隣にいたことを、思い出した。何も言わずに、ただいた。あの沈黙が、今朝になっても頭の隅に残っている。


 扉が鳴ったのは、陽が中天を過ぎた頃だった。

 入ってきたのはユシュカで、盆を持っていた。昼食だった。城の厨房のものではなく、街で買ってきたらしい包みも一緒に盆に乗っている。

「起きていたか」

「はい」

 ユシュカが盆をテーブルに置いた。こちらをちらりと見て、また盆に視線を戻す。

「体調は」

「昨夜よりはだいぶ」

「そうか」

 短いやり取りの後、ユシュカが椅子を引いた。座った。盆の上の椀の蓋を取る。湯気が立つ。

「食えそうか」

「食べます」

 テーブルに着いた。向かいにユシュカがいる。いつもと同じ配置だが、今朝目が覚めた時の空っぽの感覚がまだどこかに残っていて、この人が今ここにいることが、少し不思議な気がした。

 しばらく、二人とも黙って食べた。

 椀が半分ほど空いた頃、ユシュカが口を開いた。

「まだひとりでいたいか」

 問いの意味を、一拍遅れて理解した。

「……いえ」

「そうか」

 また少し間があった。ユシュカが街の包みを開けた。焼き菓子だった。こちらに一つ、差し出してくる。

「できたら」

 受け取った。

「話をしないか」

 気遣わしげ、という言葉がこれほど似合う顔をこの人がするとは、知らなかった。思っていたのと違う、と思った。思って、少し、気が楽になった。

「……はい」


 長い話だった。

 最初に口を開いたのはユシュカで、見ていなかった、と言った。それだけ言って、続きを探すように少し黙った。

「結婚という形を手に入れることに、浮かれていた。お前が何も言わないから、問題がないのだと思っていた。お前の様子を、ちゃんと見ていなかった」

 責める声音ではなかった。静かな声だった。自分に言い聞かせているような声だった。

「俺の方こそ」と返しかけて、止まった。

 昨夜も同じことを言おうとした。すみません、と。言って、何になるのかよくわからないまま言おうとした。今もよくわからない。

「……俺も、言えばよかったんです。言えないまま、慣れれば平気になると思ってた」

「なぜ言えなかった」

 正直に考えた。

「この結婚は、政略で始まったことだから。不満を言うのは筋が通らないと思ってました。それと」

 少し間を置いた。

「今までのあなたと俺を壊したくなかった。あなたに嫌われたくなかった。……どっちが先かは、わからないですけど」

 言ってしまってから、少し恥ずかしかった。ユシュカを見られなくて、窓の方を見た。

「嫌いになる訳がない」

 即座に言った。

「だが、そう思わせていたのなら、俺の落ち度だ」

 窓の外を見たまま、受け取った。受け取りながら、英雄失格の自分の感情の配置が、あながち的外れではなかったかもしれないと、こっそり思った。

「政略で始まったのは本当だ」とユシュカが続けた。「だがそれはもう、俺の中では理由の一つに過ぎない」

 ようやくこちらを向いた。

「お前は今、俺の伴侶だ。魔王の、ではなく、俺の。そこは区別してほしい」

 区別の仕方が、よくわからなかった。わからないと正直に言ったら、ユシュカが少し考えてから、

「困ったことは言え。嫌なことも言え。お前が黙って飲み込む必要はない」

「……あなたが相手でも?」

「俺が相手だから言え」

 簡単に言う、と思った。口に出したら、ユシュカが「簡単じゃないのはわかってる」と先に言った。

「それでも、言ってくれないと俺には届かない。昨夜みたいなことに、なってからでは遅い」

 昨夜のことを、この人なりに引きずっているのだと、その声音でわかった。表情はいつも通りだった。いつも通りだったが、声が、少しだけ違った。

「わかりました」

 すぐにできる約束ではないと思ったが、それでも言った。

「努力します」

「努力でいい」

 ユシュカが頷いた。それからこちらに問う。

「お前の方は、何か聞きたいことはあるか」

 あった。いくつか、あった。

 この話の時間を使って、順番に聞いた。ユシュカは全部に答えた。答えの中に、知らなかったことがいくつかあって、知らなかったから誤解していたことがいくつかあって、誤解が解けたことで昨夜まで棚の上に積み上がっていたものの形が、少し変わった。

 全部が片付いた訳ではなかった。片付かないものの方が多いかもしれなかった。それでも、積み上がったままよりは、ずっとよかった。

 陽が傾き始めた頃、ひと通り話が落ち着いた。

「……もう少し、ここにいてもらえますか」

 言ってから、また少し恥ずかしくなった。ユシュカは何も言わずに、椅子を引き直した。今度は向かいではなく、隣に座った。

 窓の外で、砂漠の風が低く唸っている。

「改めて」とユシュカが言った。「よろしく頼む」

「……こちらこそ」

 簡単には、いかないだろう。次も、その次も、きっとうまくやれない場面が出てくる。それでも、今日の話の時間があったことで、少し、戦い方を覚えた気がした。

 隣に人がいる。それが今日も今夜も、明日も続く。

 それを、今日だけは、素直に、よかったと思えた。

したくなったら

 夜になった。

 並んでベッドに入って、ユシュカが明かりを落とした。それだけだった。それだけで、何も始まらなかった。

 しばらく待った。待ちながら、待っている自分に気づいて、少し妙な気持ちになった。

「……しないんですか」

 聞いてしまった。

 暗がりの中でユシュカが少し動いた気配がした。振り返ったのかもしれない。

「お前がしたくなったら、でいい」

 それだけ言って、そっと抱きしめられた。

 抱きしめられただけで、それ以上は何もなかった。毛布越しに体温が伝わってくる。昼間の話し合いの疲れが、じわじわと全身に残っている。ユシュカの腕が、重くなく、ちょうどいい重さで背中に回っている。

 ほっとした。

 ほっとしながら、したくなったら、という言葉を頭の中で繰り返した。

 なるのだろうか。自分が、したくなる、という状態に。これまでそういう順序で考えたことがなかった。夜になればそういうことが起きるのが規則で、規則に対して自分の気持ちの向きを確認するという発想が、そもそもなかった。

 なるのかな、と思った。

 思いながら、ユシュカの呼吸が隣で緩やかになっていくのを聞いているうちに、眠くなってきた。

 久しぶりに、ゆっくり眠れた。


 意外と早かった。

 十日も経たないうちに、その日は来た。

 来た、というより、気づいたら、という方が正確かもしれない。夕食を終えてユシュカと他愛ない話をしていて、ふと、この人の手が近いな、と思った。思って、それだけだったのだが、夜になって並んで横になった時に、あの感覚をまだ覚えていた。

 自分から、ユシュカの袖を引いた。

 ユシュカが振り向いた。確認するように、こちらの顔を見た。何も言わなかったが、聞いているのはわかった。

「……したいかもしれないです」

 言い切れなかったので、かもしれない、がついた。

 ユシュカが少し笑った。責めない顔で、急かさない顔で、笑った。

「そうか」

 それだけ言って、こちらの額に口付けた。それから頬に。確かめるように、ゆっくり。

 怖くなかった。

 なんで今夜は怖くないのか、理由を考えようとしたが、途中でやめた。理由より先に、ユシュカの手が髪に触れて、どうでもよくなった。

 その夜は、ちゃんと、自分の気持ちの向きを知っていた。知っていたから、どこかが違った。何が違うかはうまく言えなかったが、確かに違った。

 終わった後、ユシュカが「どうだった」と聞いた。こんなことを聞いてくる人だったか、と思ったが、昼間の話し合いでこの人が変わろうとしていることは、わかっていた。

「……悪くなかったです」

 正直に答えたら、また笑った。今度は少し得意そうな顔が混じっていた。相変わらずそういうところがある。

 だが、悪くない、と思った。

 この先も、きっとうまくいかない夜は来る。来るだろうが、したくなったら、と言った人が隣にいる。それだけで、棚の上に積み上げる前に言えるかもしれないという気が、少しした。

 少し、だけ。

 でも今夜は、それで十分だった。

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